≪デボーションの友≫2023/12/25-30

2023/12/25(月) 担当 高谷清師 Ⅰテサ5:16-18  賛美 聖歌(総)473 聖歌 460

 月日の過ぎ行くのは速いもので今年もはや最後の週を迎えようとしている。この時に当たってこの箇所を開き、パウロを通して語られる主の言葉に耳を傾けていきたい。テサロニケの信徒への手紙Ⅰは聖書に収録されたパウロの手紙の中でも最も古い書簡である。この書簡を受け取るテサロニケの教会はパウロが「あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり」(Ⅰテサ 1:6)と記しているように、迫害による苦しみの中に在ったのである。このような状況にある教会に宛てた本書簡においてパウロは「いつも喜んでいなさい。」と記している。一方、フィリピの信徒への手紙では「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。」(フィリ4:4-5)と記している。フィリピの信徒への手紙は、パウロが捕らわれの身となり処刑の日が近いことをひしひしと身に感じながら書いた獄中書簡と呼ばれる書巻であり、パウロの最後の書巻である。このような事情を考える時、パウロの言う喜びは「聖霊による喜び」「聖霊による喜び」与えられる喜びであり、周りの情況や環境に左右されない喜びであることが分かる。

 故なき試練によって涙の絶えない日々を強いられている生活であるかもしれない。しかしキリストの贖いの恵みは不動である。

2023/12/26(火)担当 ラウジー満世師 創世記50:22-26 賛美 聖歌総合版516 聖歌499

 ヨセフはイスラエルの民であり続けながら、人生の長い期間をエジプト人として生きた。自分の意志によらずに故郷から放り出され、エジプトで苦労を重ねた。しかし神はヨセフを異国の地に於いても豊かに祝福された。百歳という長寿は当時のエジプトでも祝福を受けたと認められる年齢であったし、三代の子孫を見ることが出来たことも神の祝福を表している。ヨセフはエジプトで死を迎え、棺に納められ、防腐処理を施され、ファラオに匹敵するほど丁重に扱われた。彼の生涯を振り返ると未熟であったヨセフが意に反してエジプトに来てからも心の中では主を信頼して、イスラエルの民としての信仰と希望を持ち続けたことが分かる。

 神は信じる者がどこにいても常に目を注ぎ続けて下さる。どんな状況においても忠実な人々への祝福は変わらない。まだ神を信じていない人々も信仰者への神の真実を認め、一人の信仰を通して神の御名が崇められる。私たちを通してこのことが起こるように願い、主を愛して生きよう。

2023/12/27(水) 担当 高谷清師 Ⅰテサ5:16-18  賛美 聖歌(総)626 聖歌 588

 続いてパウロは「絶えず祈りなさい。」と語る。この箇所についてアルプレヒト・エプケは

「絶え間なく言葉に出して祈れ、と要求しているとすれば、不健全な行きすぎであろう。しかし正しい生活がなされていれば、その一つ一つの輸が連なって祈りの鎖を作るのであり、また、言葉なくして神に向けられているということこそ正に祈りの最も深い形である。」(NTD新約聖書註解(8)  パウロ小書簡 P447 NTD新約聖書註解刊行会1979)

と述べている。パウロはフィリピの信徒への手紙には「主はすぐ近くにおられます。」(フィリ4:5)と記している。また、主は「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。」(ヨハ 14:20)と語っておられる。全生活において絶えず主のみ声に耳を傾け御声に従って歩もう。

2023/12/28(木)担当 ラウジー満世師 創世記50:22-26 賛美 聖歌総合版456 聖歌469

 エジプトで生涯を閉じたヨセフは信仰を失わず、主に従い続けた。確かにヨセフはアブラハム、イサク、ヤコブの子孫であり、神の約束の民の中に覚えられていた。エジプトに来てから王に次ぐ地位にまで上り詰め、尊敬され、帝国の大きな権威を委ねられていたが、そこが故郷ではなかった。自身がエジプトで生涯を閉じても、いつか神が必ずイスラエルの民を約束の地へと導き上ってくださると確信し、父祖たちへの契約を必ず守り、民を顧みて下さることを知っている。エジプトでの個人の栄誉よりも、自分の死によっても途絶えることのない将来の希望に立っている。

 一個人の生涯において必ず神の約束がすべて成就するとは一概に言えない。ある人の生涯は苦労ばかりで神によって報われなかったと映るかもしれない。しかし常に主を信じて歩む人は、全ての願いが叶って生涯を閉じても、報われない人生と評価される終わりを迎えても、心の内には主がいつか約束を成就してくださるという確信をもって死を迎える。神は一世代だけに関わる神ではない。長い歴史を通して御業を行われる方である。永遠の望みをしっかりと握って歩める恵みを感謝しよう。

2023/12/29(金) 担当 高谷清師 Ⅰテサ5:16-18  賛美 聖歌(総)274 聖歌 294

 続いてパウロは「どんなことにも感謝しなさい。」と語る。フィリピの信徒への手紙においては「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリ4:6-7)と語っている。またイエスは重い皮膚病を患っている十人の人を癒された時、自分がいやされたのを知って、感謝するために大声で神を賛美しながら戻って来たサマリア人に対し「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」と言いその人に「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ17:19)と言われた。恵みに対して感謝を献げることを神は喜ばれる。また、感謝は地上生活において人間関係を豊かにし、その人自身を建て上げる。

2023/12/30(土) 担当 高谷清師 Ⅰテサ5:16-18  賛美 聖歌(総)25 聖歌 85

 パウロは「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」と語る。「これこそ」とは「いつも喜んでいること」「絶えず祈ること」「どんなことにも感謝すること」である。マリアは天使がイエスの懐妊を告げた時、自分の生死を賭して「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と語り、天使の言葉を受け入れた。パウロは「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(Ⅰコリ 6:20)と語り、「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(Ⅰコリ 10:31)と命じている。また、イエスは「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハ 12:24)と語っておられる。私たちの生涯は自分の成功、自分の栄光ではなか、神の望み、神の御心が成るためである。迎える年も神の御心が成るために仕えよう。