2015/11/30-12/5

2015/11/30 (月) 担当 高谷清師  ?ペテ2:13-15 賛美 新聖歌 389
この箇所においてペトロは「主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。それが、統治者としての皇帝であろうと、あるいは、悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために、皇帝が派遣した総督であろうと、服従しなさい。」と命じる。パウロは「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」(ロマ 13:1)と述べて、今ある権威はすべて神によって立てられたものであることを明らかにしている。さらにパウロは「権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。」(ロマ 13:4)と述べる。権威者は悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめ、それによって犯罪から社会を守るために、神によって立てられているのである。それ故、ダニ 3:13-18、ダニ 6:10-24、使 4:18-20等のように、権威者の命令が神の御心に明らかに反する場合以外は、従うべきである。

2015/12/1(火) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書17:12-14 賛美 新聖歌145
ここでは国の名前は指摘されていない。イスラエルを取り囲む国々が騒ぎ立つと言われている。実際にイザヤの時代にはパレスチナを取り囲む強大な国々が、交通の要衝地であるこの地域を侵略しようと狙っていた。それはまさに大水が襲い掛かってくるような強大な勢いを持っていた。イスラエルの力では到底とどめられないほどの力を持って襲いかかる国々について、主は叱咤されると言われる。そして驚くべきことに、これほどの勢いをもってイスラエルを滅ぼそうとする国々が風に吹き飛ばされるもみ殻のように逃げ去るという。一晩にして消え失せるのである。
自分の力では太刀打ちできない、強大な敵に食い尽くされそうになっているという状況で、私たちはなすすべもなく恐れおののくことがあるかも知れない。しかしイザヤが語るように主はどれほど騒ぎ立つ敵にも勝る力のある方である。主に信頼することこそ私たちの力である。

2015/12/2(水) 担当 高谷清師  ?ペテ2:11-12  賛美 新聖歌 458
キリスト者が、主のために、すべて人間の立てた制度に従うべきであるのは「善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることが、神の御心だから」である。「善を行う」の内容はこの場合、「人間の権戚に従順なことで」ある。不信者がクリスチャンに対して悪を行ったとして誤って責めるとき、そのような中傷は不合理である。それが自ら賢いと思っているがその実は「愚かな人々」である人々の「無知」から出ているからである。それは止められなければならない。なぜなら、それは神を汚すことになるからである。それを封じるのはクリスチャンが善を行うことである。パウロもまた「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」(ロマ 12:21)と教えている。私たちは悪を持って悪に報いるのではなく、善をもって悪に勝つ者となろう。

2015/12/3(木) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書18:1-7 賛美 新聖歌436
イスラエルの周辺で騒ぎ立っている国に対して、遠くで羽の音を立てているクシュ、すなわちエチオピアについて語られている。パレスチナからは地理的に離れてはいても、エチオピアは力ある国として恐るべき存在であり、イスラエルの脅威ともなった。神はこのように遠くで騒ぎ立つ強国に対してもしっかりと目を注いで監視しておられる。一時クシュが力を持つように見えても彼らはやがて野の獣の餌食になる。彼らの繁栄を神が取り去られる。そして他の国々同様に、この国もまた最後には主なる神の力を認め、主のもとに貢ぎ物を持ってくる。すなわち、真の神を認め礼拝するのである。
イザヤ書には一貫してあらゆる国々がいつの日か神を認め、シオンに登ってくると語られている。真の神を認めず、受け入れないという世の真っただ中にあって、神は終わりの日にはあらゆる国々が膝をかがめて主を崇めると語られる。この言葉を信じてしっかりと信仰に立ち、神のことばを伝えていこう。

2015/12/4(金) 担当 高谷清師  詩 7:1-10a   賛美 聖歌 236
イスラエル人の要求により、神はサウルをイスラエルの王としてお立てになった。しかしサウルは神に不従順であったため、神はダビデに油を注いで王としてお立てになった。ダビデは神が共におられたので、戦いにおいて大きな手柄を立てた。その為ダビデの人気は高まり、彼らが凱旋した時「女たちは楽を奏し、歌い交わした。「サウルは千を討ち/ダビデは万を討った。」(?サム18:7)と言って出迎えた。これを聞いたサウルはダビデを恐れ、ダビデの命を狙い始めたのである。人々のある者はサウル王に「ダビデガサウル王の命を狙っている」等と虚偽を告げたのである。その為ダビデは逃亡生活を余儀なくされたのである。そのような中にあってもダビデは神を信じるゆえ、神を避けどころとし、神に助けを求めることが出来たのである。自らの無実を誓い、神に裁きに希望を見出すことが出来たのである。私たちも世の不条理によって、故なき誹謗中傷に苦しまなければならない時があるかも知れない。しかし私たちの神は義なる裁き主であられる。私たちが神の前に真実に歩むなら、正しい裁きをなさる神に望みを置くことが出来る。

2015/12/5(土) 担当 高谷由紀子師 ルカ10:25-28 新聖歌337
どうすれば永遠の命を受け継ぐことができるか質問した律法の専門家に対して、主は『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』と答えられました。主イエスは全世界の人々を愛してその救いのために十字架にかかってくださいました。この主が隣人を自分のように愛しなさいと教えられました。私たちが会ったこともない世界中の人々ではなく、私たちの側にいる人を愛しなさいと言われました。私たちは家族や近隣の人々、学校や職場など多くの人々と関って生活していますが、それらすべての人々が隣人です、遠くの人々ではなく、自分の側にいる身近な人々を愛することが求められています。理想論ではなく、現実に助けを必要としている身近な人を、口先だけではなく行動を持って愛を示す人になりたいものです。”,,1109″