≪デボーションの友≫2024/2/12-17

2024/2/12(月) 担当 高谷清師 ルカ6:20-26  賛美 聖歌(総)424 聖歌 423

 イエスは「富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。」と語られる。ルカは福音書16章に「金持ちとラザロ」の物語を記している。ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。一方、ラザロという、できものだらけの貧しい人がいた。彼は金持ちの門前に横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。ラザロは死んで天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。死後、彼は陰府に送られ、もだえ苦しみの日々を送ることになった。金持ちがアブラハムに憐れみを求めた時、アブラハムは「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。」(ルカ16:25)と答えている。主は弟子たちに対して「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハ 16:33)と語っておられる。神からの報酬はこの世に在って世の反抗に耐え、苦難を忍ぶ者に与えられる。

2024/2/13(火)担当 ラウジー満世師 出エジプト記3:7-10 賛美 聖歌(総)716 聖歌655

 突然神の呼びかけを聞いたモーセは驚き恐れながらも神に応答する。心を開くモーセに対して神はご自身の計画を語られる。神はエジプトに住むイスラエルの民に対して長い間沈黙しておられたが、彼らの苦しみを見、その叫び声を聞いておられた。民は苦役のもと、その日その日を生き延びるのに必死だった。民が父祖たちの神の名を呼び、この神に助けを求めたのではなかった。にもかかわらず、神は民の苦しみを受け止めて下さり、叫びに応える計画まで持ってくださっていた。

 今の時代も、クリスチャンにとって苦しみの中で神に訴え、助けを求める祈りを捧げられることは大きな恵みである。しかし時には私たちは必至で、心から叫ぶ時にだけ神はもしかしたら耳を傾けて下さるかもしれないと考える。助けを必要としている信仰者の苦しみに目を留め、叫びに神が目を留めて下さるのは人間の熱心さだけによるのではなく、神ご自身のご性質のゆえでもある。私たちは今も神のまなざしの中に生かされている。主を信頼しよう。

2024/2/14(水) 担当 高谷清師 ルカ6:24-26  賛美 聖歌(総)434 聖歌 432

 イエスは「今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。」と教えられる。マリアはイエスの誕生によってこの世に到来する恵みの時について「飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。」(ルカ 1:53)と語っている。主を捨て、主の聖なる山を忘れ/禍福の神に食卓を調え/運命の神に混ぜ合わせた酒を注ぐ者に対して「それゆえ、主なる神はこう言われる。見よ、わたしの僕らは糧を得るが/お前たちは飢える。見よ、わたしの僕らは飲むことができるが/お前たちは渇く。見よ、わたしの僕らは喜び祝うが/お前たちは恥を受ける。見よ、わたしの僕らは心の喜びに声をあげるが/お前たちは心の痛みに叫びをあげ/魂を砕かれて泣き叫ぶ。」(イザ65:13-14)と語っておられる。主を捨て、世の快楽に生きる者を主は捨てられる。

2024/2/15(木)担当 ラウジー満世師 出エジプト記3:7-10 賛美 聖歌総合版516 聖歌498

 神はイスラエルを苦しみから救い出してくださる計画を持っておられた。さらに解放してくださった後には彼らを放置するのではなく、広い土地に導き上ると行き先まで準備しておられる。そこには様々な民が住んでいるのだが、豊かな地であり、神が民のために定めた居住地だと言われる。神はイスラエルの人々を苦しみから解放するだけで終わりではなく、新たな居住地と環境を整えてそこに導き入れるまでを見通して下さっている。

 苦境から救い出すとは、とりあえずその苦しみの源から引き離すことだけに留まらない。確かに行き先と安住の地を準備して、民が安心できる休み場へと導き入れて下さるのである。神の救いの業は中途半端な業ではない。それゆえにこの神に私たちも安心して従うことが出来る。

202/2/16(金) 担当 高谷清師 ルカ6:24-26  賛美 聖歌(総)539 聖歌 521

 イエスは「すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。」と教えられる。シメオンはマリアに「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」(ルカ2:34-35)と語っている。イエスは「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。父は子と、子は父と、/母は娘と、娘は母と、/しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、/対立して分かれる。」(ルカ12:51-53)と語り、更に「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」(ルカ 14:26)と語っておられる。またパウロは「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。」(Ⅱテモ  3:12)と語っている。福音は世の罪を指摘し、悔い改めを迫る。それ故、世は聖徒を憎み迫害する。

2024/2/17(土) 担当 高谷清師 ルカ6:24-26  賛美 聖歌(総)532 聖歌 514

 イエスは「この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」と教えられる。ミカは「だれかが歩き回って、空しい偽りを語り/「ぶどう酒と濃い酒を飲みながら/お前にとくと預言を聞かせよう」と言えば/その者は、この民にたわごとを言う者とされる。」(ミカ 2:11)と語っている。もしこの世がイエスの弟子たちを称讃するとすれば、その時には彼らはもはやイエスの道を歩いていないのではないかと疑われる。今日、主の弟子、主の民の指導者と自称しながら利得のために福音の真理を捻じ曲げ、世に迎合し、世の賞賛を得る者が大手を振って歩きまわっている。これに対してヤコブは「神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。」(ヤコブ 4:4)と警告している。ヨハネは「偽預言者たちは世に属しており、そのため、世のことを話し、世は彼らに耳を傾けます。」(Ⅰヨハ 4:5)と語り、「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。」(Ⅰヨハ4:1)と語っている。更にヨハネは「子たちよ、あなたがたは神に属しており、偽預言者たちに打ち勝ちました。なぜなら、あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです。」(黙2:2)と語っている。更に主は「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。」(黙 2:2)と語っておられる。信仰によってイエスと共に歩み、使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いた時、勝利者イエスの力によってその軛を断ち切る勇気を持とう。