2014/1/6-11

2014/1/6(月) 担当 高谷清師 ?コリ3:18-23賛美 新聖歌369

 年末年始、ある人々にとっては平常通り、ある人々にとってはこの期間こそ大忙しという方もあったでしょうが、大半の人々にとっては、今日から日常の生活が始まるでしょう。本欄もコリントの信徒への手紙?に戻りたいと思います。

パウロは「パウロもアポロもケファもあなたがたのもの」と述べています。神は必要に応じて教会に適切な指導者をお与えになりました。先にパウロは「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です(?コリ3:6)」と述べた。パウロもアポロもケファも神が教会に与えてくださった指導者であった。神は教会の必要に応じて最も適切な時期に適切な指導者をお与えになったのである。従ってパウロもアポロもケファも彼らのものである。それ故、私はパウロに、私はアポロに、私はケファにと言って他を拒むべきではない。

 パウロもアポロもケファも、神が与えてくださった指導者であった。しかしすべてがそうであったのではない。ヨハネは「愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです(?ヨハ4:1)」と述べている。今日も同じである。常にみ言葉と御霊によって真偽を判別しよう。
 
2013/12/3(火)担当 ラウジー満世師 列王記下17:1-18 賛美 新聖歌369
 イスラエルがアッシリアによって滅ぼされたときの様子が記されている。イスラエルの最後の王はホシュアであった。彼の評価は北王国の他の王と比べてそれほど厳しいものではなかった。彼は以前の王たちほどの悪は行わなかったが、それでもイスラエルは滅ぼされた。列王記によるとその理由は単純明快である。それはイスラエルの人々が律法に従わず、エジプトの支配から彼らを解放してくださった彼らの神、主だけを礼拝することを拒み、主に従わなかったからである。
 私たちは神との関係の中で正しく生きることが大変難解なことであると考えることはないだろうか。実際に神の言葉に完全に従うことは人間の力では不可能であり、私たちはそれゆえに聖霊に頼る。しかし、神が私たちに何を求めておられるのか、また神の前に正しく、神に喜ばれる歩みは何かということについては御言葉に明確に記されている。主を第一とし、主に頼り、従う歩みを続けていこう。
 

2014/1/8 (水) 担当 高谷清師 ?コリ3:18-23賛美 新聖歌371

 続いてパウロは「も生も死も、あなたがたのもの」と語る。さらに15章においては『この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。(?コリ15:54-57)』と述べ、更にフィリピ書においては「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です(ピリ1:21-24)」と述べている。主は復活によって死に勝利され、死は主によって滅ぼされた。信じない人々にとっては死はすべての終わりであるが、主に結ばれている者にとっては、死は永遠の御国への門出である。それ故、主がこの世に置かれる間、全力でこの世を生きよう。御国を望みつつ。
 
2013/12/5)担当 ラウジー満世師 列王記下17:19-41 賛美 新聖歌397
 北王国の陥落について記されている。その最中にユダについても言及し、ユダもまた北王国同様に主の律法において定められている主の戒めを守らずに偶像礼拝をおこなっていたことが記されている。ユダは当時まだ国として存在していたが、それでも滅ぼされる北イスラエルを見て自分たちの姿を省み、神に従う生活へと改めるべきであった。そのために南にもまた北同様に多くの預言者が送られ、警告を与えられていた。神は南王国に対しても何度も悔い改めの機会を与えておられたのである。
 北王国の陥落の歴史と、その理由を読むとき、わたしたちは遠い昔の記憶としてだけ読んでいてはならない。神を愛し、従う私たちにも神は混淆宗教を受け入れる生き方ではなく、神だけに従うことを望んでおられ、そのために御言葉を通して警告を送っておられる。私たちの心は神を愛し、神に従っているだろうか。二心があるならば、神の前に悔い改め、神に立ち返り、主を愛して再び主と共に歩み始めよう
 

2014/1/10(金) 担当 高谷清師 ?コリ3:18-23賛美 新聖歌373

 「すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの」と述べてきたパウロは「あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」と述べて本項を締めくくる。私たちが授けられているすべての善きもの―神の国を嗣ぐことのできるもの―はすべて御子によって与えられたものであり、わたしたちは御子のものであり、御子はキリストのものである。このことは、私たちがどのように生きるべきかを示している。これについてパウロは「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい(?コリ6:20)」と命じている。神から与えられた良きものを自分の手柄に帰し、誇り、自分の肉の欲望のために費やしてはならない。すべてを神の栄光のために用いる責任を負っている。
 
2013/12/7(土)担当 高谷由紀子師 マコ 5:18-20賛美 新聖歌429
 イエスは悪霊に取りつかれた人を解放された。彼はイエスと一緒に行きたいと願ったが、イエスはそれを赦さず、「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」と言われた。主の御業によって解放され、救われた人が身内の中で証をするように、その家に戻された。彼はその場所において、イエスが自分にしてくださったことをことごとく言い広め始めたのでその地方の人々は皆驚いた。

主に救われた者がその証をすることは喜びであり任務である。その場所は主が御心のままに備えられる。私たちは自分の置かれたところにおいて日々証しょう。