≪デボーションの友≫2022/11/14-19

2022/11/14(月) 担当 高谷清師 ガラ 4:1-7 聖歌(総)449  聖歌 446

 「あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。」と述べたパウロは「ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神によって立てられた相続人でもあるのです。」と語る。ユダヤ主義者が「割礼を受けなければ救われない」と語り、割礼を強要しようとも、私たちが律法を前にして自らの足りなさを示され、悲しもうとも、キリスト・イエスはわれらの足りなさ、罪の全てを負い、十字架に架かり、血を流し、死んでくださり、全ての罪の贖いを成し遂げてくださったのである。このお方は自分を信じるすべての人の罪を赦し、子とし、御子の霊を送ってくださるのである。それ故、ヨハネは「しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(Ⅰヨハ  1:7)と記している。

2022/11/15(火)担当 ラウジー満世師 創世記21:9-13 賛美 聖歌(総)471 聖歌458

 神の約束を受け、約束の通りに子を与えられたサラとアブラハムの家庭にも現実の生活の中で起こる争いや問題が存在した。サラはイサクがハガルの生んだ子にからかわれているのを見て不安になったのだろう。このハガルの子が自分たちの生存を脅かすと直感的に恐れたのであろう。サラにとってはハガルとハガルが生んだ子は今や脅威であった。アブラハムの妻として神の約束の中心にいるサラであっても、脅威を取り除く必要を感じると、驚くほど残酷で自己中心な行動をとる。この家庭に勃発した大問題を抱えて苦悩するアブラハムに神は苦しむ必要はないと語り、人間の思いの中で何が起こってもイサクもハガルの子も神に導かれていくことが確認された。

 神に選ばれた家族であってもその心が恐れに満たされて残酷な罪を犯すことがある。それが他者の命を脅かしたり、家族の危機を引き起こしたりする。人間には防ぎようのない出来事が起こる最中にあって、神はそれぞれに生きる道を備えて下さる。人の不信仰によって苦しみが起こるとも、神は憐れみ深い。憐れみ深い主の導きゆえに私たちも生かされている。

2022/11/16(水) 担当 高谷清師 ガラ 4:8-11 新聖歌 358

 パウロは「あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。」と語って、ガラテヤの人たちに、信仰に入るより以前の状態を思い起こさせる。神を知らなかった時、ガラテヤの人たちは無力で頼りにならない支配する諸霊の下に在って、それらに奴隷として仕えていたのである。しかし、彼らに福音が伝えられ、神の憐れみにより、聖霊の働きによって信仰に導きいれられた時、彼らは神でない神々から解放され、自由を得たのであった。彼らが福音信仰だけに生きることに不安を感じ、福音に割礼や律法を加えるなら、自らを再び奴隷の状態に定めるのである。「福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。」(ロマ 1:17)と言う、パウロの言葉を確認しておこう。

2022/11/17(木)担当 ラウジー満世師 創世記21:14-21 賛美 聖歌(総)519 聖歌501

 ハガルとその子に対するサラのふるまいはアブラハムをも悩ませるほどの大変なものであった。最終的に神の導きの中でハガルとその子はアブラハムの家を出なければならなくなり、荒れ野で死を覚悟した。子が命を落とすことを覚悟してハガルも泣き叫んだが、子供も泣いていた。人間の争いによって家から出され、命の危機に直面する弱者の泣き叫ぶ声を神は聞いて受け止め、保護し、泣き叫んでいる子の将来までしっかりと神が顧みて下さることも約束された。この子に関する約束をも神は守り、立派な若者へと成長させ、一つの国民にしてくださった。

 人は命や立場を脅かす危険な存在を恐れて排除する。たとえそれが過去の自分の不信仰によって生じた危機であっても、今、目の前にある脅威を必死で排除する。しかし神は人間の行為によって生み出された危機にも介入し、弱い者を守ってくださる。神の慈しみと真実は私たちの理解と想像を超える。このような主が共にいて下さるから、今日も前進しよう。

2022/11/18(金) 担当 高谷清師 詩 72:1-19 賛美 聖歌(総)232 聖歌 256

 先回は王がその職務を執行する際の、また主の民を導く務めを与えられた指導者に求められる鉄則について見た。パウロはロマ書に「権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。」(ロマ 13:4)と記して民は神がお立てになった権威者に従うべきことを命じている。また、ロマ 15:30 、エフェ  6:19 、6:20 、コロ  4:4 、Ⅰテサ 5:25、Ⅱテサ  3:1 、ヘブル  13:18 、ヘブル  13:19  等々において、神の民の指導者として立てられた人々は自分の職務遂行のために、人々に祈りを求めている。今日、日本の政界の指導者はサタンに捕われ、批判の的になっている。しかし、批判によってはサタンの縄目から離脱させることはできない。それは神の霊の働きによってのみ、可能である。それ故、キリスト者の任務は重大である。一般の指導者のためにも、霊的指導者のためにも祈り続けよう。

2022/11/19(土) 担当 高谷清師 列王上19:8-16 賛美 聖歌(総)44 聖歌 100

 カルメル山におけるバアルの預言者達との対決に大勝利を収めたエリヤであったが、イゼベルの脅迫の言葉を恐れ、荒野に逃げ出した。御使いに元気づけられ、四十日四十夜歩き続けてついに神の山ホレブに着いた。そこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。そのとき、主は「エリヤよ、ここで何をしているのか。」と問いかけられた。エリヤの訴えに対して主は「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

 私たちは天変地異を伴う大事変の中に主がおられると考えがちである。聖書の中には確かにそのような場合もある。しかし、静けさの中に静かな声で語りかけられる場合もある。私たちは静かに心整えて主の言葉を待つ者となりたい。