≪デボーションの友≫2023/10/23-28
- 2023.10.22
- ディボーションの友
2023/10/23(月) 担当 高谷清師 ルカ6:6-11 賛美 聖歌(総)630 聖歌 592
前段落に続いてこの段落においても安息日をめぐる主イエスと律法学者たちやファリサイ派の人々との対立が記されている。安息日に関する規定は十戒の第四戒に記され、「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。」(出20:8-10)と命じている、これは神が命じられた、民が守るべき規定である。律法学者たちやファリサイ派の人々はこれを文字通りに守ることをもって自分を義としていた。イエスの行為は彼らにとって許容できないものであった。前段落において主の弟子たちが麦の穂を摘み、手でもんで食べたことを律法違反として咎めたことに対し、主が弟子たちの行為を許し、主が「人の子は安息日の主である。」と宣言されたことに対し、律法学者たちやファリサイ派の人々は主イエスに対する殺意を固め、その機会を狙っていたのである。この殺意を乗り越えることができるのは「人の子は安息日の主である。」と宣言された言葉に対する信仰である。
2023/10/24(火)担当 ラウジー満世師 創世記48:21-22 賛美 聖歌総合版481 聖歌468
マナセとエフライムへの祝福の祈りを終えたヤコブはヨセフに語り掛ける。それは自分が死んだ後に起こることの約束の言葉であった。エジプトに身を寄せている一族が、やがて先祖の国、すなわち神の約束の地へと導き帰らせていただけると言う。出エジプト記から申命記に至る書物の中で民がカナンの地へと連れ帰られたことが伝えられている。これはエジプトの地で苦しむ民の声を神が偶然耳にして、その瞬間に決定したことではなく、最後の族長ヤコブを通して民に告げられていた神の約束であった。神は人が見通せない未来も既に御心に留め、計画を定め、導いてくださる。
人が見通せる時間は限られている。計画できる範囲も僅かであり、先の予定を立てていたとしてもそれが果たして実行できるかどうかは誰も確定的に知ってはいない。しかし神は一人一人の生涯にも確かな計画を持ち、御心に従って導いてくださる。最善へと導いてくださる主の御手に先をゆだねて祈り、進むことが出来る幸いを感謝しよう。
2023/10/25(水) 担当 高谷清師 ルカ6:6-11 賛美 聖歌(総)440 聖歌 438
十戒の第四戒、安息日に関する規定は「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。」(出20:8-10)と言うものである。「聖別」とは,神のために特別に分け離すことである。七日目は神のために特別に分け離されるべき日である。それは神に全く捧げるべき日である。レビ記は「六日の間仕事をする。七日目は最も厳かな安息日であり、聖なる集会の日である。あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。どこに住もうとも、これは主のための安息日である。以下は主の祝日であり、その日あなたたちはイスラエルの人々を聖なる集会に召集しなければならない。」(レビ23:3-4)と命じている。安息日は神にささげるべき日であり、礼拝の日である。そこでは人間の如何なる都合も中断する。天候に左右される農耕社会に在っては厳しい規定であったかもしれない。しかしイスラエルはこれを守ってきた。主の十字架の後、主の弟子たちも悲しみの中で安息日を守った。安息日あけの朝、天使は驚くべき知らせをもたらした「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」(ルカ 24:6)と。このメッセージを聞き、復活された主に出会って喜びにあふれた弟子たちは、喜びの礼拝をささげた。以来、キリストの教会はこの日を聖別し、感謝と喜びの礼拝をささげるのである。
2023/10/26(木)担当 ラウジー満世師 創世記49:1-4 賛美 聖歌総合版463 聖歌451
ヤコブは続けて息子たちを呼び寄せて最後の言葉を伝える。彼らに向けても将来起こることを語っている。それぞれへの言葉は祝福の言葉として記されている。最初に告げられるのは長男のルベンである。3節を見るとやはりイスラエルにおいて長子が特別な存在であったことがうかがえる。ヤコブの若き日に生まれた長男の力が語られ、神から与えられた祝福として記されている。しかしそのあとに厳しい言葉が加えられている。自由奔放な長子は父の寝台に上るという罪を犯した。35:22に記されているとおり、父の側目ビルハのところへ入ったのである。この出来事は35章ではごく短く伝えられていることである。しかしごく小さく報じられた出来事も神は覚えておられる。小さな罪だから見逃していただけるとか、人目に付かず大事にならなければやり過ごせるというものではない。長子という特権ある立場の者であっても犯した罪に対する神の厳しさは変わらない。
小さな罪、人目に付かないがゆえに放置されている罪はないだろうか。神の前に生きる者は罪が示されたならば悔い改めて赦しをいただこう。
2023/10/27(金) 担当 高谷清師 ルカ6:6-11 賛美 聖歌(総)473 聖歌 460
安息日に関する規定は十戒の第四戒であり、出エジプト記と申命記に記されている。戒めの内容は両書ともほぼ同じ言葉で記されているが、命じられる理由については、両書は大きく異なっている。出エジプト記は「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」(出20:11)と語っており、申命記は「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられたのである。」(申5:15)と語っている。エジプトの奴隷となり苦しみ叫ぶご自分の民を、神は力ある御手と御腕を伸ばして導き出されたことを思い起こさせるために、主は安息日を守るよう命じられたのである。
パウロは「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」(ロマ3:23-25)と語っている。私たちはこの主の贖いの恵みを感謝して主日礼拝を守るのである。
2023/10/28(土) 担当 高谷清師 ルカ6:6-11 賛美 聖歌(総)250 聖歌 273
主イエスに対する殺意を固め、その口実を見つけようとして機会をうかがっていた律法学者たちやファリサイ派の人々はその日、イエスがその集会に集っている右手が萎えている人を癒されるかどうかを。固唾をのんで見守っていた。彼らの思いをご存知であったイエスは、手の萎えた人に「立って、真ん中に出なさい」と言い、「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」と言われた。そして、彼ら一同を見回して、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。言われたようにすると、手は元どおりになった。
律法学者たちやファリサイ派の人々が定めたミシュナによれば、命に関わる病気は治療を許されたが、そうでないものは許されなかった。主の御業は律法違反であった。しかしイエスは「安息日の主」であられ、その御業は神の御心である。主イエスによる病の癒しはその人を罪から解放する、即ち、死から解放するのである。主イエスによる癒し、それは命の救いである。
お詫びとお願い
いつもお読みいただきありがとうございます。筆者、この度病気治療のため、入院することになりました。入院中はパソコンが使えないため、しばらくお休みいたします。診断によると入院は2週間の予定です。癒しのため、お祈り頂ければ感謝です。主の守りと祝福をお祈りいたします。
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