≪デボーションの友≫2023/12/18-23

2023/12/18(月) 担当 高谷清師 ルカ 2:8-20  賛美 聖歌(総)490 聖歌 473

 救い主の降誕―良き訪れ―は厳寒の中、野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに知らされた。ダビデは羊飼いの現場から召されてイスラエルの王となった。そしてその裔からとこしえの王、救い主が起こされると約束されていた。しかし、当時のイスラエル社会においては羊飼いたちは身分の低い軽蔑された存在であった。権力者たちではなく、指導者たちではなく、社会から疎んじられていた羊飼いたちに真っ先に知らされたのである。マリアが「主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。」と詠ったことを想い起す。この出来事は今生まれた幼子の生涯を暗示している。

 後年、イエスはバプテスマのヨハネの問いに対して「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」(ルカ7:22-23)と語っておられる。

2023/12/19(火)担当 ラウジー満世師 創世記50:15-21 賛美 聖歌総合版513 聖歌495

 ヤコブの死後、ヨセフの兄たちは過去の自分たちの弟に対する仕打ちとその罪に怯えている。45章でヨセフが兄たちとエジプトで会見し、正体を明かした時に既に兄弟の和解は成立していたことを考えると、兄たちがなぜ今再びこのように仕返しを恐れているのかと不思議に感じる。しかし、兄たちにとっては過去の自分たちの罪ゆえの恐れが心にいつも暗い影を落としていたのである。もちろんこのような思いにあらゆる瞬間に囚われて支配されていたわけではないだろうが、折に触れて過去の罪の結果を恐れる思いに悩まされたであろう。それを解決するためにはやはりかつて悪を行って苦しめた相手であるヨセフと直接向き合い、謝罪するほかない。

 小さな罪であっても長い間、人の心に罪責感を与え、恐れで悩ませる。罪については神から赦しをいただくことと同時に、被害者と向き合い、謝罪し、対立をしっかりと解決しなければならない。過去の罪ゆえに対立している人がいるならば、神の支えによりそのことと向き合い、和解しよう。

2023/12/20(水) 担当 高谷清師 ルカ 2:8-21  賛美 聖歌(総)631 聖歌 593

 主の天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」と。救い主の誕生は「民全体に与えられる大きな喜び」である。「民全体」について考えてみたい。イエスのところに母と兄弟たちが来たことを知らせた人々にイエスは「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになっている。マリアは賛歌の中で「わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」と詠っている。ザカリアは聖霊に満たされて「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」(ルカ1:78-79)と語っている。「民全体」とは異邦人を含むすべての人々である。

2023/12/21(木)担当 ラウジー満世師 創世記50:15-21 賛美 聖歌総合版513 聖歌495

 兄たちが過去にヨセフに対して行った罪のゆえにヨセフの怒りを恐れ続けている姿とは対照的に、ヨセフは兄たちへの個人的な怒りに縛られてはいない。確かに兄たちから受けた悪があったことは認めつつも、その悪を断罪するのは自分ではなく、神であることを知っていた。そして神が既に過去の罪を善に変えて下さったこと、飢饉の中で一族を救う神の計画があったことを確信している。さらに、ヨセフにとっては今兄たちがそろって自分にひれ伏している姿に、かつて兄弟の確執をひきおこすことになった夢の成就をも見ていたであろう。

 神を知らない人々は自分の人生の主体は自分であり、自分で責任を負ってすべて自分の力で切り開いていくものと考えて努力する。もちろん置かれた場所で最善を尽くすことは神の御心に適うことであり、努力し続けるのだが、私たちの人生を導く主権者は神である。神を信じる私たちは常に神が責任を持っていてくださることを覚え、あらゆるときに自己実現ではなく、神のご計画が私の人生になるよう求め続けよう。

2023/12/22(金) 担当 高谷清師 ルカ 2:8-21  賛美 聖歌(総)607 聖歌 573

 天使がメッセージを伝えおわると突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」と。この賛美についてK. H. レングストルフは

「彼らの讃美は、天において啓示される神の栄光と、地上における神のわざとの両方に向けられる。この両方が一つに結ばれていることが極めて重要である。神の栄光は、地上における神のわざの本質であり、またそのわざはやむことがない故に、神は常に栄光の主でありたまう。それ故、神の未来のわざもそのメシアたるキリストによって与えられるのである。彼がメシアであることの標識は、戦いや力や人間的偉大さにはなく、逆にあわれみと服従と神の支配の確立にある。それらすべてが「平和」という天使の言葉の中に含まれている。平和とは完全に成しとげられたメシアの救いを言うのである、」(NTD新約聖書註解(3)  ルカによる福音書 P83-84 NTD新約聖書註解刊行会1976)

と記している。イエスは「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハ 16:33)と語っておられる。私たちの平和は世に勝利されたイエスに対する「イエスは主である」と言う信仰告白にある。

2023/12/23(土) 担当 高谷清師 ルカ 2:8-21  賛美 聖歌(総)462 聖歌 450

 天使が去った後、羊飼いたちはベツレヘムへ行き、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。羊飼いたちは、その光景を見て、この幼子について天使が話してくれたことが真実であることを確認し、人々に知らせた。

福音を聞き、それが事実であることを確認した羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。福音を聞き、確認し、信じた者はそれを人々に伝える。その知らせを聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。それはイエスの誕生の予告の時に天使が語った約束の確証を羊飼いの言葉の中に見出したからである。神は全知全能にして愛なるお方である。神の言葉は私たち人間の思考の範囲を超えるものであったとしても、聖霊の証と導きに従い、信仰によって受け入れ、従うべきである。