2015/1/26-31

2015/1/26 (月) 担当 高谷清師 ?コリ13:8-13  賛美 新聖歌 282
 パウロは「預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」と述べる。私たちは私たちの罪を負って十字架に架かり、血を流し、死んでくださった救い主を信じる信仰によって神の子とされた者である。しかし、肉の衣を着てサタンの支配する世に生きている。世においては御言葉を通して神を知る。御言葉は私たちの救いのために十分なものであるが、神と神の国のすべてを知らせるものではない。神が時に応じて聖霊によって与えてくださる預言によって、また御霊によって与えられる知識によって神を知るのである。また御霊によって与えられる異言をもって神の奥義を語る。しかしそれらは一部分である。しかし御国に移される時、キリストと顔と顔を合わせて会いまみえ、すべてを知ることになるのである。その時には最早、預言の賜物、異言の賜物、知識の賜物は不要となる。しかし、今、世を生きる私たちに不要と言うのではない。与えられている賜物を尊び、生かすとともに、その限界をもわきまえることが大切である。

2015/1/27(火) 担当 ラウジー満世師 歴代誌下20:1-12  賛美 新聖歌338  
 ヨシャファトの指導のもと南王国で信仰が復興されたとき、試練がおそった。ユダの南東に位置する国々が共に南王国を攻めてきた。このような危機に際し、常識的に指導者が取るべき措置は国内に防備を固めるよう呼びかけ、兵士たちは武具を手にとり、出陣することである。しかしヨシャファトはその道を進まず、彼の成すべきことを行った。敵の攻撃についての報告を受けたとき、自ら主を求め、人々にも断食を呼びかけた。主を求める人々の中でヨシャファトは主に祈りを捧げる。神に信頼して助けを求めるのだが、その祈りの最初に出た言葉は「今すぐ助けてください」ではなかった。彼は神がユダだけではなく諸国を支配する神であるとたたえる。さらに先祖の時代からの神の導きと真実を思い起こし、神への信仰を告白する。
 日々の信仰の歩みが将来の危機を支える。主からの恵みを心に留め、主との交わりの中を歩もう。

2015/1/28(水) 担当 高谷清師  ?コリ13:8-13  賛美 新聖歌 172
 次いでパウロは「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る」と述べる。私たちが御国に入れられる日、私たちは主と顔と顔を合わせて相まみゆるのであり、預言や異言、知識は最早必要なくなる。しかし、そこでは主に全く依り頼んで生きるのであり、信仰は存続するのである。そこにおいては神を唯一の望みとして生きるのである。このように、信仰と、希望は永遠に存続するのである。

2015/1/29(木) 担当 ラウジー満世師 歴代誌下20:13-21:1  賛美 新聖歌303
 祈りに対して主が答
えられた。主がこの戦いを戦ってくださるから、民は主を信じて主の救いを見ていればよいのである。簡単なように見える。しかし迫り来る危機を見ながら、ただ信じて状況をすべて委ねてじっと待つことは生半可な信仰では出来ない。この中でヨシャファトと民は主に礼拝し続け、声のかぎり主を賛美し続けた。すると神は驚くべき方法で敵を敗走させられた。ユダの民はただ戦利品を取りに行けばよかったのである。
 常識では考えられない出来事である。しかし、信仰を持って主に求めて主が答えてくださったとき、常識とは反対のことを求められたならば、それに従うのである。これを戦いに臆病になり行動できないという状況を履き違えてはいけない。あるいは、恐れのゆえにじっととどまる信仰に似せて成すべきことをしない口実にこのヨシャファトの時代になされた神の業を利用してはならない。真の神との対話の中で聞きわけた主の導きに従って私たちは歩むのである。

2015/1/30(金) 担当 高谷清師  ?コリ13:8-13  賛美 聖歌 216
 最後にパウロは「その中で最も大いなるものは、愛である」と述べる。先にパウロは、愛は「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える(?コリ13:7)」と述べた。そしてヨハネ「神は愛です(?ヨハ4:16)」と述べている。信仰と、希望は愛を源としている。そして神は愛である。それゆえに愛は永遠であり、もっとも偉大である。私たちも神から与えられた愛に生きよう。

2015/1/31(土) 担当 高谷由紀子師 ルカ8:40-48 新聖歌452
 イエスが会堂長ヤイロの求めに応じてその家に向かわれる途上での出来事が記されている。12年間にわたって病んでいた一人の婦人がいた。多くの医者にかかり、全財産を使い果たしたが、誰からも治してもらえず失意の中にあった。その頃、多くの人を癒されたイエスのうわさを聞き、イエスに最後の望みをかけた。そしてイエスが通りかかられた時に、彼女はイエスの衣に触れた。するとすぐに病は癒された。主は恐れおののく彼女に向かって「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と言われた。神の恵みは信じる者の上に豊かに現される。今日も信仰によって歩もう。”,,1070″