2018/12/3-8
- 2018.12.03
- ディボーションの友
2018/12/3 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 11:1-16 賛美 新聖歌 211 ヨハネによる福音書11章はラザロの復活を扱っている。そして新共同訳聖書は11:1-16に「ラザロの死」という表題を付している。この箇所にはラザロの家族が紹介されている。この家族はマリア、マルタ、ラザロであった。 […]
2018/12/3 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 11:1-16 賛美 新聖歌 211 ヨハネによる福音書11章はラザロの復活を扱っている。そして新共同訳聖書は11:1-16に「ラザロの死」という表題を付している。この箇所にはラザロの家族が紹介されている。この家族はマリア、マルタ、ラザロであった。 […]
2018/11/26 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10:31-39 賛美 新聖歌 165 イエスが語られた「わたしと父とは一つである。」という言葉はユダヤ人たちには イエスは人間であるのに自分を神とした、神を冒涜する者として受け取られた。その為、ユダヤ人たちはイエスを石で打ち殺そうとして、また石 […]
2018/11/19 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10:22-30 賛美 新聖歌 224 「わたしの羊」がどのような者であるかを語られたイエスは、続いて彼らの特権について「わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。」と語られる。この箇所につ […]
2018/11/12 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10:22-30 賛美 新聖歌 361 冬、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた時、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられたイエスをユダヤ人たちが取り囲んで「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」と言 […]
2018/11/5 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10:18 賛美 新聖歌 127 「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。」と語られたイエスは「わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。」と語られる。この福音書の2:19においてもイエスは「この […]
2018/10/29 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10:17 賛美 新聖歌 211 イエスは「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。」と語られる。イザヤ書において神は「それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし/彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が […]
2018/10/22 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10:16 賛美 新聖歌 238 イエスは「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。」と言われる。ファリサイ人や律法学者たちはユダヤ人だけが神に選ばれた民であり、神の約束にあずかる唯一の者であると考えてい […]
2018/10/15 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10:14-15 賛美 新聖歌 233 イエスは「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。」と語られる。イエスはご自分の羊を知っておら […]
2018/10/8 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10: 10-11 賛美 新聖歌 225 イエスは「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と語られる。ダビデは「僕は、父の羊を飼う者です。獅子や熊が出て来て群れの中から羊を奪い取ることがあります。そのときには、追いかけて打ち […]
2018/10/1 (月) 担当 高谷清師 ヨハ 10: 10-11 賛美 新聖歌 235 イエスはご自身が来られた目的について「羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」と言われる。更に「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と語られる。罪を犯し、神の前に失われ、 […]