2013/12/2-7
- 2013.12.02
- ディボーションの友
2013/12/2(月) 担当 高谷清師 ?コリ3:5-9賛美 新聖歌393・聖歌579 「植える者と水を注ぐ者とは一つですが」と語ることによってコリント教会の分派争いに終止符を打つ。コリント教会の人々は、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」などと言い合って、分派争いをしていた。しかし、パウロもアポロもケファも主に仕える者であって、各々主から与えられた職分によって主に仕えているのである。従って、植える者と水を注ぐ者―主に仕えるものは一つであって、互いに対立しあうものではない。 キリストの体である教会には多くの働きがある。主はご自身のみ旨に従って働き人を召し、彼らを御心に従って各々の職分に任じられる。任じられた者は聖霊の導きと力によって忠実に任じられた職分を果たすのである。肉の欲によってある職分を得ようとしたり、主がある人をその職分に就かせようとなさるのを妨げたりしてはならない。要は主の召しに従い、与えられた職分に忠実に仕え、他者の職分を妬むようなことをしてはならない。
2013/12/3(火)担当 ラウジー満世師 列王記下11:1-20 賛美 新聖歌302
ユダの王アハズヤが死んだとき、その母アタルヤはユダの王族をすべて殺して自ら国を支配した。アタルヤはイスラエルの王であったオムリの孫であった。このアタルヤがユダの王族を皆殺しにしようとしていたときにひそかに匿われていたヨアシュが、七年目に祭司ヨヤダを中心とした企てによって王として即位した。この11章での出来事の中で、神がどのように働いておられたか、ここには記されていない。しかしダビデの血筋が保たれていくという神の約束はこのひそかに匿われていた王子にかかっており、ヨアシュが王として油注がれる経緯を見ると、確かに神が背後に居られ、神の約束がこのことを通じて実現していくことを見ることができる。イエフの反乱と対照的に、このヨアシュを王とする反乱はわずか二人の血が流されただけであった。イエフの油注ぎとは違ってヨアシュが油注がれ、即位するときにはすべての民が喜び祝った。
神は歴史の出来事において表面的には働いておられないかに見えるときがある。しかし、神の約束は確かに実現に向かっている。そして神の目にかなうことが行われるとき、そこには神の民の支持と喜びがある。
2013/12/4 (水) 担当 高谷清師 ?コリ3:5-9賛美 新聖歌384 続いてパウロは「それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります」と語る。これについてカルヴァンは「ここでかれは、仕え人たる者はみな、いかなる目的を心にかけるべきかを教える。それは、人によく思われようと求めることでなく、神の御心にそうことである。」と述べ、更に「自分を誇り、世に対して自分の価値を上げようとしているのは、神のみまえに出て、神に従いまつることを学びえなかったからであり、自分のためにキリストの天の御国を眼前に思いうかべてみることもしなかったからである」(カルヴァン新約聖書注解?コリント前書P81−82)と語っている。主イエスも、ピラトの問いに対して『「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」(ヨハ18: 36)』と答えられた。主の召しに応えた働き人はこの世に仕える者ではなく、御国に仕える者である。その報酬は御国に属するものである。世の名誉、富等を求めてはならない。日々の主と交わりの中で御国を味わい、御国のために仕えよう。
2013/12/6(金) 担当 高谷清師 ?コリ3:5-9賛美 新聖歌391・聖歌541
9節においてパウロは「わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです」と述べる。この箇所をカルヴァンは「わたしたちは、あなたがたをたがやし、あなたがたのうちに神の御言葉の種をまき、水をそそいで、懸命に労してきたが、それは、わたしたちの利益のために行ったのではなく、その実がわたしたちにかえってくるようにと望んでしたことでもない。また、わたしたちがあなたがたを建設するために労してきたのは、それがひいてはわたしたち自身の便利にもなるとみたからではない。それどころか、あなたがたが、神の畑・神の建物となるためであった」(カルヴァン新約聖書注解?コリント前書P82)と解している。そして『使徒は、「真の仕え人は、自分のために働く者でなく、主のために働く者である」と言おうとしたと考えるからである』(カルヴァン新約聖書注解?コリント前書P83)と述べている。 真の仕え人は、その奉仕によって結ばれた実りを自分自身にではなく、人にでもなく、キリストに結び付けるべきである。エチオピア人の宦官に福音を伝えたフィリポの奉仕を思い起こす。
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