2012/12/3-8

 

2012/12/03(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 11:4-7  賛美 聖歌516
 著者は「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました」と語る。創世記によるとカインとアベルは共に主に献げ物を献げた。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。そのため、『カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」』と語られた。アベルの献げ物は信仰によってなされた故神に目を留められ、それによってアベルは正しい者であることが証明されたのである。信仰がなければ、神に喜ばれることはできないのである。常に信仰によって歩もう。
 

 

2012/12/04 (火)担当 高谷満世師 サムエル記下19:9後半-19:44 賛美 聖歌475
 アブサロムの反乱に起因した戦いは終わった。ダビデは王として再びエルサレムへ迎えられることとなった。ダビデがエルサレムに向かう途上で多くの人々と出会ったが、その出会いにおけるエピソードが記されている。この帰途におけるダビデの姿は、エルサレムから逃げ延びる夜の姿とはまったく異なり、再び力を取り戻している。ダビデを出迎えるためにいち早く駆けつけたシムイなど、ここでダビデを出迎える人々はそれぞれにそうしなければならない事情があり、政治的な画策も働いて、ダビデに対する忠誠を表している。力を取り戻したダビデはそれぞれの場面において人々を受け入れつつも、なお知恵を用いて政治的な決断を行う。いかにもダビデがすべてのことを決断し、王として状況を支配しているようだ。しかし、すべてが順調に見える中で、新たな対立が見え始めている。ユダとイスラエルの対立である。
 目に見える状況が良くても悪くても、常に私たちは神に目を向けつつ、おかれている状況の中で正しく状況を見極める目を与えていただき、へりくだって主の知恵を求め、忠実に神に従わなければならない。
 

 

2012/12/05 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 11:4-7 賛美 聖歌456
 著者が旧約における偉大な信仰者としてアベルに続いて取り上げるのはエノクである。エノクについて旧約聖書は「エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。(創  5: 23-24)」と記している。そして著者は「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」と述べる。信仰から離れて、神を喜ばすことはできない。神と共に歩むことはできない。その信仰とは、神の存在を信ずるだけではなく、忍耐と確信に満たされて、神を求める者に約束された報いを待ち望むことを含むのである。旧約の聖徒たちに比べるとはるかに素晴らしい恵の時代に生かされている我々であるが、救いの完成はなお、将来を待たなければならない。その間、不信仰に陥ることのないように、一心に主を見上げ、信仰に堅く立って主とともに歩もう。
 

 

2012/12/06(木)担当 高谷満世師 サムエル記下20:1-26 賛美 聖歌578 
 ひとつの反乱が治められた。しかし息つく暇もなく、再び反乱が起こる。ビクリの息子シェバの反乱がここでは報告されている。それに対してまたダビデは兵を送り、血を流さねばならなかった。シェバを追跡するために送られたヨアブとアビシャイは途上で「ヨアブを愛する者、ダビデに味方する者はヨアブに続け。」と再度兵士を集めた。シェバを追跡するためには一つの町を滅ぼさなければならないような状況であった。しかし、一人の知恵のある女を用いてこの町を破壊から守られた。
 この女性は名も知られない存在であった。しかし彼女は「イスラエルの中で平和を望む忠実な者」であった。名もない存在、社会で名士と認識されることのない存在、それでも心から平和を望み、神に忠実である人を主は用いて一つの町を守られた。私たちも社会で賞賛されるような働きを成し遂げることは出来ない小さな存在であるかもしれない。しかし主を愛し、忠実に歩むとき、主が私たちを用いてくださる。
 
2011/12/07(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 11:4-7  賛美 聖歌539
 旧約における偉大な信仰者として続いて取り上げるのはノアである。当時、地は堕落し、不法に満ちていた。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であって、神と共に歩んでいた。そこで神はノアに「「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。(創 6:13)」「あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい(14a)」「見よ、わたしは地上に洪水をもたらし、命の霊をもつ、すべて肉なるものを天の下から滅ぼす。地上のすべてのものは息絶える。わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。(創 6:17-18)」と語られた。洪水による地の滅亡は人々にとって信じ難い事柄であった。しかしノアは信仰によって従い、命を保った。
 私たちが神の御心を求める時、私たちの常識では信じ難いような事柄に出会うことがある。しかしそれが神の御心であるとの確信を与えられたなら、信仰をもって従う者となりたい。世の常識をもって神のみ旨を無にしてはならない。

 

2012/11/3(土)高谷由紀子師 ルカによる福音書 17:11−19 賛美 聖歌461
 イエスが朝早く神殿の境内で教えておられるところに律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」と言った。イエスは黙っておられたが、彼らがしつこく問い続けるので「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言われた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。その時イエスはこの女に「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」と言われた。
律法は罪に対して死をもって報いる。しかしイエスは赦しを宣言される。それはイエスが罪人を愛しご自身を犠牲としてささげられたからである。