2021/7/12-17

 2021/7/12(月) 担当 高谷清師 コロ3:1-4 賛美 新聖歌 465

 パウロは「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。」と述べている。これについてハンス・コンツェルマンは「われわれは生命を持っている――だがそれは、すでにこの世において永遠の生命として直接眼に見えるとか、われわれがこれを自分の所有物として思いのまま処理できる、というのではなく、ただキリストにおいてのみ「見えるもの」となるのである。」(NTD新約聖書註解8 パウロ小書簡P379 NTD新約聖書註解刊行会1975)と述べている。

 キリスト者は、世の罪を担い、十字架につき、血を流し、死んで葬られ、死に打ち勝って復活された主イエスを信じる信仰によって罪に死にキリストの復活の命に与ったのである。その命はキリストの内に隠されており、御国において明らかにされる。フィリピ書においてパウロは「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリ  3:20)と述べている。主とお会いする日を望みつつ、今を信仰によって歩もう。

 

2021/7/13(火) 担当 ラウジー満世師 ゼファニヤ書3:14-15 賛美 新聖歌209

 エルサレムの民に対する歓喜の呼びかけである。エルサレムの現実は決して喜ぶことができるようなものではない。神から罪を指摘され、裁きを宣言されている。しかしここでは喜び叫ぶように促されている。主が王座に就き、エルサレムの真ん中におられるからである。主は王座に座しておられるだけではなく敵を追い払ってくださる。どれほど罪を犯す民であっても、主は敵の手から守られ、民の真ん中に座ってくださる。

 現状が行き詰まっているとしても、自分自身の不義と罪の行いによって苦境に立たされるとしても、神は愛をもって民を救いと正しい道に導かれる。イスラエルの王なる主こそが民の悔い改めと回復の希望である。

 

2021/7/14(水) 担当 高谷清師 コロ3:5-11 新賛美 新聖歌 372

 パウロは「だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。」と命じる。この箇所を岩波訳は「だから地上に属するもろもろの肢体を死に至らしめなさい、淫行、不浄、情動、悪しき欲望」と訳している。新共同訳が「捨て去りなさい」と訳しているところを岩波訳は「死に至らしめなさい」と訳しているのである。即ち、この言葉は強い言葉である。「みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲」それらは神の怒りを招くからである。キリストを信じる信仰によって罪に死に、キリストの復活の命に生かされている者はこれらの不品行を捨て去らなければならない。パウロはコリントの信徒への手紙?で「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」(?コリ6:19)と述べている。コリントの信徒への手紙?においては「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(?コリ 4:7)と述べている。聖徒は神のみ前に自らを聖く、尊く保たなければならない。

 

2021/7/15(木)担当 ラウジー満世師 ゼファニヤ書3:16-20 賛美 新聖歌20

 力強く、主なる神が勇者として民の真ん中に居られ、大きな喜びが満ちる。神ご自身が各地に散らされて祭りから遠ざけられていた人々を再び都に集めて下さる。離散の民を帰還させてくださる。さらに、神ご自身が敵を滅ぼして民に救いを与え、恥を取り除いてくださる。地の果てから民を聖なる都に集めて、最終的に民の繫栄を回復し、誉を回復してくださる。

 しかし、ゼファニヤ書は人間がすべての誉を手にすることがないよう、注意深く語っている。確かにエルサレムは回復されるのだが、それは苦境にあって努力した民自身の功績ではなかった。19節と20節で何度も現れる「わたし」は神ご自身である。神ご自身が民を集め、敵を滅ぼし、聖なる場所へ連れ帰られる、ただ神の力強い御業によって民が回復される。ゆえに民の回復を見て世界中が驚くのだが、賛美を受けるのはただ神お一人である。自分の誉ではなく、神に栄光を帰し、心からあふれ出る賛美をささげる歩みこそ、神の民の生き方である。主を賛美しよう。

 

2021/7/16(金) 担当 高谷清師 詩 62:11  賛美 新聖歌 344

 詩人は「力が力を生むことに心を奪われるな。」と警告する。神はご自身こそが天地の創造者であり、統治者であることを御言葉によって啓示し、神の民はそれを信じてきた。しかしイスラエルは周辺諸国が王を頂き、王の指揮のもとに政治的、軍事的成果を上げるのを見てサムエルに王を立てることを要求した。アブサロムは兵力を蓄え、巧みな言論活動によって人心を掌握し、神に油注がれ、立てられた王を追放することに成功した。このように、地の力は地上において一定の成果を上げ、地上を歩む者には極めて魅力的である。それ故に今日も諸国は血眼になって軍事力、政治力、財力等を追い求め、いたるところで軋轢を生じさせている。しかし、肉と血とは神の国を継ぐことはできない。パウロは「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ロマ  12:2)と述べている。常に聖霊の導きの中で神の御心を知り、従う歩みをしょう。

 

2021/7/17(土) 担当 高谷清師 コロ3:5-11 賛美 聖歌 265

 パウロは「あなたがたも、以前このようなことの中にいたときには、それに従って歩んでいました。」と語る。みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲、それらは地上的なものであり、世に満ちているのである。ローマの信徒への手紙においてパウロは「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ロマ 12:2)と述べている。

 報道は元小学校校長を勤め、今も高校の非常勤講師を勤める73歳の男が元教え子の19歳の女性を自宅に泊めわいせつ行為行ったとして逮捕されたと伝えている。世は罪の世界であり、週末の接近と共に闇は深さを増している。神のものとされたキリスト者はこのような世に一切倣ってはならない。