2013/11/25-30

 

2013/11/25(月) 担当高谷清師 ?コリ3: 5-9 賛美 新聖歌427・聖歌520
 『ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか』と語ったパウロは、この箇所において、神の働き人について語る。先ず彼は「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です」と述べる。このことから、神の働き人は、第一に、キリストによって召され、その召しに応じて立ち、人々をキリストに導くためにキリストによって遣わされた者であることが分かる。しかし働きの内容は個々に異なる。植える働き、水を注ぐ働き、人々が信じるために御言葉を語る働き、信じて聖徒とされた者を奉仕の業に適して者とされるように導く働き、キリストの体を作り上げて行く働き等々であり、召され、応答した人々に、キリストによって与えられるのである。したがって「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」などと言って互いに対立するのは主の御心にそぐわない。今日の私たちの内に同じような思いがないであろうか。
 
2013/11/26(火)担当 ラウジー満世師 列王記下9:30-37 賛美 新聖歌247 聖歌471
 イエフがイズレエルにきたとき、イゼベルは化粧をしてイエフに挨拶した。その言葉に軽蔑がこめられていたのか、あるいはイエフを誘惑しようとしたのか、定かではない。しかしイエフの対処はきっぱりとした、迷いのないものであった。イスラエルをバアル礼拝に導き、偶像礼拝の道へと誘惑したイゼベルもまた、イエフにつく者たちによって殺された。その後、イエフはこのイゼベルもまた王女として葬られねばならないとして、人々に埋葬を命じたが、彼女の体はすでに大部分が犬に食われていた。
 これは主の言葉のとおりであると言われている。確かに列王記上21:23節においてこのように述べられている。わたしたちは主の言葉が成就することを信じ、望みつつ待っている。あるものはすぐに実現し、あるものは成就を見るまでに忍耐をしなければならない。神の言葉はそれが良いことであれ、悪いことであれ、神が定められたときに実現するのである。
 
2013/11/27 (水) 担当 高谷清師 ?コリ3: 5-9 賛美 新聖歌19・聖歌478
 神の働き人は「あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕え」ているのである。彼らは自分の肉の能力や才能によって働きをしているのではない。働き人が肉において、働きのために十分な能力や才能をもっていると自負できるとしても、能力や才能をすべて主にささげ、改めて主から受けるのでなければ、神の働きを為すことはできないのである。『イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける(マコ 10:29-30)』と記されているとおりである。働き人は神の賜物にあずかる以外には、自分では如何なる働きも為すことはできない。このことは働き人を謙遜にする。へりくだって主に仕えよう。
 
2013/11/28(木)担当 ラウジー満世師 列王記下10:1-36 賛美 新聖歌345 聖歌597
 イエフは南北イスラエルの二人の王を殺し、イゼベルを殺した。そしてさらに10章においてアハブの70人の子どもたちを殺し、一族を全滅させた。さらにその後、バアルに仕える者を言葉巧みに集め、彼らをもみな殺しにした。この章を読むときに、バアルをイスラエルから滅ぼし去るためとはいえ、あまりの残虐さに驚く。確かにイエフはイスラエルにシャロームをもたらすためにこれらのことをなした。結局イエフはこれらのことを成し遂げた後、「心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に従って歩もうと努」(10:31)めなかったためにその家は衰退した。
 シャロームをもたらすために人間が暴力を用いるとき、やはりひずみが出てくる。神のみが本当の平和をもたらす方である。正しい目的を持っているからとはいえ、安易に人間が暴力に訴えることをしてはならない。あらゆる状況において神の前に跪き、神が働いてくださるよう祈り、従うことが大切である。
 
2013/11/29(金) 担当高谷清師 ?コリ3:1-4  賛美 新聖歌284・聖歌540
 続いてパウロは、神の働き人の働きを農作業にたとえて「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」と語る。農夫は収穫を得るために、種をまき、水を注ぎ、肥料を施し、除草作業を行い、あらゆる努力を傾ける。しかし気象条件は収穫を大きく左右する。今年の秋は野菜の高値が続き、主婦を悩ませている。各地で頻発した豪雨災害の影響である。また、先日農協を訪れた時、今年は一等米の割合が低いと聞かされた。今夏の猛暑の影響である。農業において良き収穫をもたらすのは、農夫の働きも勿論大切であるが、それ以上に気象条件に左右されるのである。神の働きについても同じことが言える。旧約の王達を見ると、彼らがいかに政治的手腕にすぐれ、軍事力を強化し、外交に巧みであっても、神の祝福を失った時、国は滅びる。主に仕えようとする時、能力や才能は大切であるが、それ以上に神の祝福が大切である。信仰により、神の祝福に満たされて主に仕えよう。
 
2013/11/30(土)担当 高谷由紀子師 マコ6:7-13 賛美 新聖歌324・聖歌496
 主は伝道を拡大するために12人を遣わされた。この時12人はまだ本当に主イエスを理解していなかった(4:10, 13,14)。彼らは主に従うことを誓い試みてはいるが、主の本当の姿を理解していなかった。それでも主は未熟な彼らを送り出した。その時、十分な持ち物をもたず、宣教のための必要を満たしてくださる神に頼らなければならなかった。彼らはただ主イエスから授けられた権能だけを頼りに出かけて行った。その時主の栄光が顕され、神の御業が為された(6:13)。
 主に遣わされた12人と同じように私たちも自分の能力や持ち物ばかりに頼らず、神から授けられた権能に頼り、聖霊に導かれた信仰をもって救いの御言葉を語ろう。