≪デボーションの友≫2023/2/20-25

2023/2/20(月) 担当 高谷清師 使9:1-9 賛美 聖歌(総)643 聖歌 605

 「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。」と記されている。「サウロ」はユダヤ名で彼のラテン名は「パウロ」である。彼はキリキアのタルソで生まれた――ディアスポラの家庭に生まれたユダヤ人で生まれながらにローマの市民権を持っていた。このような環境に生まれ育ったパウロは、ギリシア語に熟達し、ヘレニズム文化にも接していた。と同時に民族的には生粋のユダヤ人であってユダヤ教の伝統に熱心なパリサイ人であった。神殿の境内における弁明では「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」(使 22:3)と語っている。またフィリピの信徒への手紙においては「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」(フィリ3:5-6)と語っている。彼は真理―イエス―を知らなかった故、教会を迫害したが、「熱心に神に仕えていた」信仰の姿勢は私たちも範とすべき姿である。

2023/2/21(火)担当 ラウジー満世師 創世記29:14後半-30 賛美 聖歌(総)466 聖歌454

 ラバンの家での新生活は神の導きにより始まったが、神に選ばれて導かれているヤコブでさえも世の習わしと人間の様々な思惑の中で生きていく存在である。ヤコブは妹のラケルを愛し、結婚するために7年間働くことになった。イサクの時とは違って持参金のないヤコブは妻を娶るために7年間働くことになった。神に選ばれている人であっても、何の努力もなく、正当な働きを免除されてほしいものが手に入るというものではない。ヤコブはラケルへの愛のゆえにこの7年間を苦にせず働いた。ようやく待ちわびた結婚の日が来たが、結果は望んだものではなかった。ラバンは当時の習慣に従って姉から先に嫁がせるという理屈によってヤコブを欺いた。兄を欺いたヤコブが今度は欺かれる側になった。また、長子の権利をめぐって兄と対立したヤコブが今度は姉妹の年齢に関するしきたりのゆえに願いがすぐには聞き届けられなかった。

 神に選ばれて族長と定められた人であっても、社会の中で様々な人間の思惑の中で生きる。神に従って生きることはすべての世の習慣から無関係に特別な計らいで生きることを保証されていることと誤解してはいけない。この世において神の御心に従って生きることが恵みである。主を信じる者として、置かれている現代社会に置いて責任のある生き方をしよう。

2023/2/22(水) 担当 高谷清師 使9:1-9 賛美 聖歌(総)538 聖歌 520

 「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。」と記されている。パウロは何故キリスト教会を迫害したのであろうか。聖霊に満たされて遣わされた使徒ペトロが大祭司アンナスとカイアファとヨハネとアレクサンドロと大祭司一族の前で語ったメッセージは「あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、/『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、/隅の親石となった石』/です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」(使4:10-12)と言うものであった。これは律法厳守を救いの道と確信するパウロにとっては決して容認できるものではなかったのである。

2023/2/23(木)担当 ラウジー満世師 創世記29:31-30:24 賛美 聖歌(総)596 聖歌538

 ラバンとヤコブとの争いに加えてレアとラケルが争う。ラケルはヤコブに愛されているが不妊である。約束を受け継ぐ者の妻の不妊はサラやリベカの時にも起こった。レアもラケルも様々な策を講じる。ラケルは最初にヤコブを責めた(30:1-2)が、ヤコブの言葉にある通り、これは神の御手の中にある。ラケルは次にかつてのサラのように召し使いによって母となるが、これも解決とはならない。レアも恋なすびを用いてさらに子を産むが、まだ二人の争いは続く。子供の数が問題ではなく、そこに神との関係における平安があるかどうかが問題である。ついに30:22において神がラケルを御心に留め、聞き入れ、胎を開かれた結果、子が与えられた。

 この争いの中でラケルもレアも様々な策を講じた。人の画策により子は生まれた。しかし最終的に誕生を通して神から与えられた生であり、神が人に目を留めて下さったという霊的交わりが与えられるのは神の御業がなされる時である。主の御業を求めて主の方法で事を行おう。

2023/2/24(金) 担当 高谷清師 使9:1-9 賛美 聖歌(総)643 聖歌 605

 キリスト教会迫害こそ神様に仕える道と信じて疑わないサウロはダマスコの教会を迫害するため大祭司のダマスコの諸会堂あての手紙を携えてダマスコの町へと道を急いでいた。ダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。サウロが「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」と言う答えがあった。

 人が神を愛し、熱心に神に仕えようとするとき、たとえその方法が間違っていたとしても神はその誤りを正し、正しい道へと導いてくださる。私たちは不断に祈り、神と交わり、へりくだって神のみ声に従順に歩もう。

2023/2/25(土) 担当 高谷清師 詩 73:11-12 賛美 聖歌(総)532 聖歌 514

 詩人は悪人たちの心を「神が何を知っていようか。/いと高き神にどのような知識があろうか。」と語る。神を無視し、おごり高ぶり、高慢であり、暴虐に満ち、あざけりと悪意を持って話し、しいたげを語り、それによって地上の繁栄を謳歌する者に大衆は迎合し、讃える。この箇所について鍋谷尭爾師は

「悪者が栄え、心のきよい信仰者がゆえなく苦しむ現実は、人類の歴史のいつも、どこでも見られる状況で、今日も変わりがありません。しかも、マスコミはこのような現実を容認するかのように、「いつまでも安らかで富を増している」有名人を賛美する番組を流し続け、人々はその現実を見て怒るどころか、かえって憧れ、賛美しているのです。」(『詩篇を味わうⅡ』P290-291いのちのことば社 2006)

と述べておられる。パウロは「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。」(Ⅱテモ4:3-5)と語っている。世情に迎合せず、常に真理のみ言葉に固く立って歩もう。