2014/12/15-20

2014/12/15 (月) 担当 高谷清師 ?コリ13:4-7  賛美 新聖歌 18
 「 あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます」と語ったパウロは13:1―3においていかなる賜物も慈善も愛によらなければ何の価値もないことを示した。この箇所においては愛の結果、愛の実に目を止める。最初に愛は「忍耐強い」。これを口語訳と新改訳は「愛は寛容であり」と訳している。この言葉は周囲の状況に対する忍耐ではなく、人に対する忍耐を表していると言われている。パウロは「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした(ピリ 2:6-8)」と述べている。主は神の権威をもって人を裁くことをせず、愛をもって十字架を忍び、わたしたちに救いの道を備えてくださった。それ故パウロは「互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい(エフェ 4:32)」と勧める。主の、愛による忍耐によって救われた私たちは、他人の悪に忍耐をもって応える者となろう。

2014/12/16(火) 担当 ラウジー満世師 歴代誌下14:1-6 賛美 新聖歌201
 南王国でアビヤの次に王となったのはアサである。ユダの王たちの中で高い評価を受けている王の一人であり、またその最初の人であった。アサについて語り始めるところから彼が神の目にかなう正しく善いことを行ったと記されている。具体的には、彼は人々の信仰を神から反らせる偶像を取り払った。あらゆる偶像を砕き、異教の祭壇を取り払った。客観的に人々を偶像礼拝へと誘うものを取り払い、さらに人々に対して「先祖の神、主を求め、律法と戒めを実行するように命じた」(14:3)。ユダの国全体が正しく神に従うように、その環境を整えたうえで人々を励まし、正しい神との関係に立ち帰るように呼びかけたのである。
 自分の意志によって真の神だけを礼拝する、神との正しい関係を保っていく信仰は常に私たちが持ち続けなければならない。そして同時に私たちが神に忠実であり続ける環境を整えて、神から引き離そうとするものから遠ざかることにも日々気を配っていきたい。

2014/12/17(水) 担当 高谷清師 ?コリ  賛美 新聖歌 214
 愛の結果、愛の実の第二は「情け深い」である。この言葉を新改訳は「愛は親切です」と訳している。この箇所についてレオン・モリスは「パウロのこの動詞は、おそらく以上二つの意味を兼ね備えていると想定しても、あながち間違いではあるまい。愛は、ひどい扱いをする者にも、善意で応じる。愛が親切によって表されると、他者に仕えるものとなる。(ティンデル聖書注解コリント人への手紙第1P219いのちのことば社)」と述べておられる。また、宮平望師は『「親切である(クレーステウオマイ)」 という表現は、「善(クレーストス)」を行うという意味であり(コリント人への手紙私訳と解説P206新教出版社)」と述べておられる。そしてパウロは「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい(ロマ 12:21)」と勧めている。神から注がれる愛に満たされ、善をもって悪に勝利する歩みを続けよう。

2014/12/18(木) 担当 ラウジー満世師 歴代誌下14:1-14  賛美 新聖歌165
 先日は神に認められたアサの信仰について読んだ。アサは信仰深い王であったと同時に、軍事的な能力も備えた人であった。彼は主から与えられた安らぎと平穏の中で怠けることなく、戦いに備えて軍備を強化した。砦の町を次々に築き、起こりうる戦いに備えた。信仰においては神との正しい関係を回復し、信頼を置きつつ、なお防衛を強化するという、一つの国を治める者としての責任を果たしていった。自分のなすべきことをしっかりと行い、怠けることはなかった。なおかつクシュとの戦争が起こった時には全き信頼を神に寄せている。
 状況に応じて自分のできる限りのことを行いつつ、助けは神から来ることを決して忘れずに主に頼る。アサが示した信仰を私たちもしっかりと持って今日を歩もう。

2014/12/19(金) 担当 高谷清師 ?コリ  賛美 新聖歌 216
 愛の結果、愛の実の第三は「ねたまない」である。宮平望師は「ねたまないとは、他人を冷静に正しく評価することである(コリント人への手紙私訳と解説P207新教出版社)」と述べておられる。またレオン・モリスは「愛は、他人の成功に機嫌を損ねるようなことがない(ティンデル聖書注解コリント人への手紙第1P219いのちのことば社)」と述べておられる。マルコが「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである(マコ 15:10)」と述べているように、妬みは自らの救いのために愛によって遣わされた御子をさえ、十字架につけた。妬まないということは、他者の成功を喜ぶことである。聖書は「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい(ロマ 12:15)」と命じている。それは愛によってのみ、可能となる。

2014/12/20(土) 担当 高谷由紀子師 ?コリ1:18-21 賛美 新聖歌 359
 古来人間は洋の東西を問わず、神を、そして救いを探し求めてまいりました。そして多くの知者・賢者を輩出してまいりました。しかし、真の神がご自身の視点からご覧になる時、人を救いに至らせるもの、人に永遠の命を得させるものはありませんでした。そこで神は愛の故に人に救いを得させるため、罪の無いご自身の独り子・イエスを遣わし、このお方にすべての罪を負わせ、十字架につけることによって人を罪から解放し救いを得させる道を開かれました。このイエスを救い主と信じる者に救いが与えられるのです。これは世の知者・賢者には愚かに映るのです。しかし、これこそ神の知恵であり、私たちの救いの唯一の道です。”,,1203″