2015/7/6−11
- 2015.07.06
- ディボーションの友
2015/7/6 (月) 担当 高谷清師 ?コリ16:13-14 賛美 新聖歌 282
パウロの奨励の第二は「信仰に基づいてしっかり立ちなさい」である。ローマの信徒への手紙においてパウロは「わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。(ロマ 1:16-17)と述べている。イスラエルは律法に立ち、自分の義を確立しょうとして失敗した。私たちの罪を負い、十字架に架かって血を流し、命を棄て、私たちの罪の贖いを成し遂げてくださったキリストを信じる信仰に立つことこそ福音の中心であり命である。
2015/7/7(火) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書1:21-31 賛美 新聖歌323
イザヤ書の冒頭からエルサレムの罪が非難されているが、ここではこのエルサレムの堕落した現状を嘆いている。かつては忠実であった町が今や罪と不義で満ち溢れている。一度は神を信じて忠実であった町がこの様な状態になっているのである。正義とは決して静止した状態ではない。イザヤが語る正義とは、抑圧された社会的弱者に代わって行われ、完成される正しい行為である。それは神のことばを信じてそれを生活の中で忠実に実行するときに生まれてくるものであった。しかしここではかつて神を信じていた町が正義を失っていると言われている。
罪を犯すのは神を知らない人々、悔い改めたことのない人々とどこかで感じていないだろうか。今私たちの生活は神に近く、忠実なものだろうか。正義を行う者になりたい。
2015/7/8(水) 担当 高谷清師 ?コリ16:13-14 賛美 リビングプレイズ81
パウロの奨励の第三は「雄々しく強く生きなさい」である。この表現は敵との戦いにおいて勧められる態度である。すでに見たように、コリントは繁栄していた商業都市であった。そこには不品行と偶像礼拝が蔓延していた。本書簡においてもパウロは偶像に供えた肉を食べる問題に対する忠告を与え、教会内部に存在する悪いもの―兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者―を除き去るよう、命じた。そのためには雄々しく強く生きることが必要であった。今日においても私たちを主イエスに対する信仰から反らそうとするものは多い。すでに使徒ヨハネは「子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります(?ヨハ2:18)」と警告している。主もまた終わりの時について「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない(ルカ 21:8)」と語っておられる。今日、ますます顕著になってきた「悪いもの」に勝利して信仰を守り通すために雄々しく強く生きることが求められる。
2015/7/9(木) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書1: 21-31 賛美 新聖歌251
神を信じていながらも神に対して不忠実になった人々はどうなるのだろうか。彼らは再び清められるのだろうか。幸いにも神は彼らの汚れを清めてくださる、不純物を彼らのうちから取り除いてくださると語っておられる。彼らは清められた後にかつてのように正義を行い、神に忠実な町へと回復される。もちろんこれは神の恵みの業のみによるのではなく、シオンの悔い改めにかかっている。それでも神はいったん神を神として受け入れながらもまた罪の道へとそれてしまった人にも清めを通して罪の赦しと贖いと関係の回復を与えてくださる。ここに私たちの希望がある。もちろん罪を犯さないように、神に対して忠実に歩み」続けるように努力しなければならない。しかし、もし不忠実になってしまったと気が付いたときには神の憐れみの故に、悔い改めて神に近づくことができるのである。
2015/7/10(金) 担当 高谷清師 ?コリ16:13-14 賛美 新聖歌 355
パウロの最後の奨励は「何事も愛をもって行いなさい」である。パウロはすでに13章において愛について述べた。そしてコロサイの信徒への手紙において「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです(コロ 3:14)」と述べている。このことについて宮平望師は「神こそが真の愛であるから、礼拝に関することであろうと、日常の事柄であろうと、すべてのことを愛において行うとは、真の愛である神が今ここに共にいることを自覚しつつ生きるということである(コリント人への手紙私訳と解説P285)」と述べておられる。今日も主を見詰めつつ歩もう。
2015/7/11(土) 担当 高谷由紀子師 ルカ15:3-7 新聖歌217
羊飼いはいなくなった一匹の羊を終夜命がけで探しました。崖を這い上がり、険しい山や谷を駆け巡ってやっと見つけ出しました。彼は羊を背負い、大喜びで帰って来て、友達や近所の人々を呼び集めて「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」(15:6)と言いました。主イエスは「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(19:10)と言われました。また主は「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」と語っておられます。これらのことから、主が魂の救いをどんなに望んでおられるかがわかります。私たちも魂の救いのために日々仕えていきましょう。”,,1312″
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