2020/3/23-28

2020/3/23(月) 担当 高谷清師 ヨハ 17:6 賛美 新聖歌 359

 神のご計画―救いの御業遂行のために世に遣わされた御子は、託された全ての御業を完遂し、天の栄光の座への帰還を前にして弟子たちの為に祈ってくださる。弟子たちについてイエスは「世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。」と述べておられる。またイエスは「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」(マコ 4:3-9)と語っておられる。常に良い土地―信仰によってみ言葉を聞こう。
 
2020/3/24(火) 担当 ラウジー満世師 アモス書7:4-6  賛美 新聖歌20
 いなごの大群の幻に続いて、焼き尽くす火に襲われる幻が記されている。主は火を用いて畑の作物を焼き尽くし、さらに畑に水を供給する大いなる淵の水まで焼き尽くすと示される。地下水がなければ今まさに火に呑み込まれようとしている穀物だけではなく、翌年の実りも期待できなくなる。ごうごうと音を立てて激しく燃え上がる炎の様子と、パチパチ音を立てながら焼き尽くされていく穀物の幻を見た時、農業が身近だったであろうアモスにとって、その裁きのすさまじさは圧倒的な威力をもって臨んだだろう。アモスは即座に神の憐みを求め、裁きの中止を求めた。神はこの願いを聞き入れてくださった。
 第一の幻と相俟ってこの幻は神の怒りのすさまじさを語る。まさに裁きを行われる瀬戸際に立っておられる。それでも神はなおもアモスの祈りを聞いて、思い直してくださった。神の警告を聞くならば、裁きの撤回を求めると同時に、時が差し迫っていることを悟り、悔い改めて主に立ち返ろう。
 

2020/3/25(水) 担当 高谷清師 ヨハ 17:6 賛美 新聖歌 427

 イエスは「わたしは御名を現しました。」と語られる。イエスは「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うフィリポに「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。(ヨハ 14:8-11)」と語られた。また、ヨハネは「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハ 1: 18)と述べている。イエスの全ての働きと言葉が神を顕しているのである。
 
2020/3/26(木) 担当 ラウジー満世師 アモス書7:7-9  賛美 新聖歌343
 下げ振りとは建築などに用いられる計測器であり、壁などのゆがみを確認するためのものであったと考えられる。これを用いて神が今確認されるのはそこに立っておれる城壁ではなく、神の民イスラエルであった。公義と正義を行うよう求められた、その求めに彼らが従っているかどうかを確認される。そしてここではアモスのとりなしの祈りにも余地を与えられることなく、もはや猶予はないことを語られ、全てが裁きによって荒廃することが告げられる。神を軽んじ続ける人々に直接対峙なさるのはほかならぬ神ご自身である。
 アモスに表された幻を読むときに、「まさか、愛の神がこのようなことをなさるはずがない」と思うだろうか。「アモスの時代はともかく、今は恵みの時代に生きているのだから、私たちをこのように扱われるはずがない」と考えるだろうか。私たちの願望はそうかもしれない。しかし、神を軽んじるならば私たちはその責任を問われる。神を心から愛し、仕え、従っているか、聖霊の導きによって自らを省みよう。
 
2020/3/27(金) 担当 高谷清師 詩 51:8  賛美 新聖歌 225
 自分の罪を示され、神の罪に対する厳しさ、それを超える、罪を温存して死に至ることを許さない神の燃える愛を知ったダビデは罪からの清めを求めて「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。」と祈る。パウロは「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」(ガラ 4:4-5)と述べている。またヨハネは「しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」(?ヨハ 1: 7)と述べている。神はご自身のご計画に従い、私たちの思いをはるかに超える恵みの御業、十字架の救いを成し遂げてくださったのである。信仰によって神の恵みの内を歩もう。
 

2020/3/28(土) 担当 高谷由紀子師 マタ 7:21-23 賛美 新聖歌 316

 生徒は先生の言われること、教えられることを守り行わなければ良い生徒にはなれません。子供は両親の言いつけを守り行わなければ両親に喜ばれることはできません。主は「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」と教えられました。ヤコブも「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」(ヤコ 1:22)と教えています。キリスト者はどんなに御言葉を語ったとしても口先で語るだけで実行しなければ御心に適うものとはなれません。主に喜ばれることもできません。真実と真心をもって御言葉に聴き従い、実行するものとなりましょう。