≪デボーションの友≫2023/4/24-29

2023/4/24(月) 担当 高谷清師 Ⅰコリ15:12-19  賛美 聖歌(総)127 聖歌 172

 パウロは「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。」と語る。ぺトロは「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。」と語った。これは聖霊降臨の後、即ち、教会の最初のメッセージであり福音の、私たちの救いにとっての必須の要素である。しかしコリントの教会には「死者の復活などない」と言っている者がいた。今日、人間理性中心の時代を迎えて「死者の復活などない」という人々が多くなっているのではないだろうか。しかしこれは信仰によって受けるべき問題である。

2023/4/25(火)担当 ラウジー満世師 創世記37:1-4 賛美 聖歌総合版529 聖歌511

 37章に入って私たちの目はヤコブの次世代、ヨセフとその兄弟たちに向けられる。これまでの世代同様にヨセフの兄弟たちの中にも対立があった。ヤコブが愛したラケルの子であり、末っ子に近いヨセフは、当時の習慣の中では家を継ぐ者ではなかった。長子の特権に関わる問題が父ヤコブの兄弟にも深くかかわっていたように、ここでも年の若いヨセフが父の愛を一身に受けていることから兄弟間の不和が起こる。ヤコブは年寄り子のヨセフを偏愛し、本来身分の高い人が身に着けるような高価できらびやかな晴れ着を彼に与えた。それを見た兄たちの怒りは依怙贔屓する父ヤコブではなく弟ヨセフに向かった。

 以前の世代同様、神の選びは必ずしも当時の社会的慣習には従わない。兄弟間の確執の背後には神の導きもあった。しかし兄たちの怒りと憎しみが父ではなく、寵愛を受けた弟に向かうところにまた人間の現実的な姿を見る。この憎しみが次第に大きくなり、大事件を引き起こす。私たちは時に向かうべきところではないところへ怒りや憎しみを向ける。常に神の前で自分の心を確かめ、罪へと導く発端になる思いを悔い改めよう。

2023/4/26(水) 担当 高谷清師 Ⅰコリ15:12-19  賛美 聖歌(総)481 聖歌 468

 パウロは「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。」と語る。イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」(ヨハ11:25-26)と語っておられる。ペトロは「ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、/『彼は陰府に捨てておかれず、/その体は朽ち果てることがない』/と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。」(使2:30-32)と語っている。またパウロは「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(Ⅰコリ 15:20)と語っている。御子はわれらの罪を負って十字架に架かり、血を流し死んでくださった。神はこのお方を死から解放し、復活させてくださった。死人の復活は御子の復活によるのである。

2023/4/27(木)担当 ラウジー満世師 創世記37:5-11 賛美 聖歌総合版605 聖歌571

 ヨセフが若い時に見た二つの夢とそれがもたらした家族内の影響について語られている。二つの夢は共に末っ子に近いヨセフが、当時の社会的習慣に反してこの家を導くという内容であった。年上の兄たちも彼の権威に従うという。ヨセフの生涯において神は何度も夢を通してヨセフを導かれる。この夢もまたそのように働くのだが、ここで示された将来は社会的に普通ではなく、到底受け入れがたい。兄たちが感情的に応答して弟を憎んだことも理解できる。父の目にもヨセフの言い分は一般的に受け入れ難かった。だからこそ有頂天になっているヨセフを叱責しているのである。

 こういった常識、社会秩序に基づく反応以上に私たちが見極めていかなければならないこともある。それは普通でないことが起こる時、これは神の導きであるかどうかという点である。ヤコブはこのことを心に留めたのである。イエスの母マリアが幼子について思い巡らしていたように。出来事を表面的にだけ見るのではなく、その背後に働く神の御心を求めよう。

2023/4/28(金) 担当 高谷清師 Ⅰコリ15:12-19 賛美 聖歌(総)250 聖歌 273

 パウロは「そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」と語る。この箇所について竹森満佐一師は

「これは、多くの人にとって思いがけないことでありましょう。キリストは、人間の罪のために十字架につけられたのであります。それなのに、なお復活が必要であったのか、ということであります。キリストの十字架において、キリストは、罪のために死なれました。もし、それだけであるのなら、キリストは、罪に負けたことになるのではないか、悲壮な死ではあるが、死にはちがいないのです。それなら、「死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」(一五・五五)といって、死に対して勝利をおさめることにはならないのではないでしょうか。しかし、復活があれば、死は完全に敗られてしまうのではないか、ということであります。教会がはじめから、キリストの復活を宜ベ伝えた、ということは、何度語っても足りないだけでなく、ここにこそ、福音の福音たる所以があるのではないでしょうか。パウロは、それを言いたかったにちがいありません。」(『鵠解説教・コリント人への第一の手紙P571-572』新教出版社1988)

と述べておられる。主なる神のみ旨に従い、人の罪のために十字架に架かり、死なれた御子を主なる神は復活させてくださった。これによって死は打ち破られ、私たちに永遠の命の恵みが開かれたのである。

2023/4/29(土) 担当 高谷清師 Ⅰコリ15:1-11  賛美 聖歌(総)679 聖歌 630

 パウロは「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。」と語っている。

「復活」について竹森満佐一師は

「聖書が言っている復活は、十字架につけられたキリストが、よみがえられた、ということであって、このことだけが重要であったのです。

なぜでしょう。それは、十字架が、罪人の罪が赦されるためのものであり、復活は、そのことを、神が承認されたことであったからであります。ある人が申しましたように、復活こそは、キリストの十字架に対する神の承認であったのです。十字架の救いの完成であったのであります。それは、ただ、死人が生きかえる、ということではありません。罪の救いのために与えられた救いは、まさに、神がなしたもうたものである、ということの証拠でありました。」(『鵠解説教・コリント人への第一の手紙P570』新教出版社1988) と述べておられる。ローマの信徒への手紙においてパウロは「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。」(ロマ1:3-4)と語っている。復活の主に対する信仰によって永遠の命の恵みに与るのである。