2021/12/27-2022/1/1

 2021/12/27(月) 担当 高谷清師 Ⅰテモ1:-12-17  賛美 新聖歌 415

 パウロはマケドニア州に出発するにあたってテモテをエフェソの教会の指導者としてとどまらせた。今、獄中に在って、テモテに対して「わたしの子テモテ、あなたについて以前預言されたことに従って、この命令を与えます。その預言に力づけられ、雄々しく戦いなさい、信仰と正しい良心とを持って。」と書き送っている。テモテの信徒への手紙?においてパウロは「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。」(?テモ1:7-8)と書き送っている。イエスは天に帰られるのを前にして弟子たちに「また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」(ルカ 24:47-48)と教えられた。サタンとたたかい、福音を宣べ伝えるのは聖霊―「力と愛と思慮分別の霊」―によるのである。

 

2021/12/28(火) 担当 ラウジー満世師 ゼカリヤ書11:1-3 賛美 新聖歌358

 レバノンの杉やバシャンの樫は価値の高い華美な木であった。これらを比喩として用いながらここでは当時の大国が呼び出されている。強大な力をもって世界を圧倒していたこれらの国々も神の力と裁きの前には泣き叫ぶことになる。これほどの力を持つ国々が間もなく力を失うことは人間の常識では考えられない。さらにこの前の10章と比べて読めば、大国が没落する一方でイスラエルとユダの民は神の力を受けて回復されるという。

 神は力なく弱りきったイスラエルをも回復してくださる。それと同時に世界の強国の力を奪われる。これを通して、神は御心に適う人々を強めるお方であることがわかる。神が選んでくださり、神に応えて従う人々を神は必ずその苦しみの中から助け、力を与え、歩ませてくださる。世界的なパンデミックの中でもがいているこの時代を生きる神の僕たちをも神は顧みて下さる。

 

2021/12/29(水) 担当 高谷清師 ?テモ1:19-20 新賛美 新聖歌 458

クリスチャン生活には常に試練と誘惑が伴う。それは一般信徒、教会幹部、教師、牧師等を問わず、絶えず襲いかかる。この試練と誘惑は御子イエスにさえも及んだ。この誘惑に敗れたアダムとエバは人類を永遠の死に陥れた。この試練と誘惑に勝利するための武器は信仰と正しい良心である。エフェソの信徒への手紙においてパウロは

「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。(エフェ6:10-18)」

と勧めている。信仰と聖霊に満たされ、御言葉に固く立ち、良心をもって勝利の信仰生活を全うしょう。

 

2021/12/30(木)担当 ラウジー満世師 ゼカリヤ書11:4-6 賛美 新聖歌263

 114節から16節は突然全く異なる場面が語られている。神が預言者に語り、預言者が語られた通りに少し変わった行為を演じることによって神のメッセージを伝える。その内容はあまりに唐突で16節まで読むと何が語られているのかと困惑する。まず4節から6節を見よう。イスラエルの人々にはなじみ深い犠牲として神殿で捧げられる羊に関することである。犠牲の羊を育てる羊飼いは屠られる羊を、金を得るための資源としてだけ見ている。そこには人の罪の身代わりとなって命を奪われ、血を流す羊への憐れみは全く見いだせない。買い取る者もこの屠られる羊を通して人の罪の清めが与えられるという、霊的な領域において起こる神との関係や人の心の罪の問題には無関心である。

 16節までの全体において述べられるメッセージをこの数節だけにおいてのみ読み取ることはできないが、羊をめぐる人々の心には犠牲の羊が屠られるのは人の罪のためであるという認識や霊的な面での神への感謝と悔い改めは見られないようである。日常生活の中でどれほど霊的な清めや神との関係を思い、私たちの罪を赦し、救いを与えて下さった神に感謝しているだろうか。今年与えられた多くの祝福を喜びつつ一年を終えるときに、神から与えられた恵みの核心は御子の流された血によって開かれた赦しと救いの恵みであることを思い起こし、感謝しよう。

 

2021/12/31(金) 担当 高谷清師 詩 65:7-8  賛美 新聖歌 154

 6−8節において創造主にして歴史の主であられる神を賛美した詩人は「お与えになる多くのしるしを見て/地の果てに住む民は畏れ敬い/朝と夕べの出で立つところには/喜びの歌が響きます。」と詠う。詩編第19篇の詩人は「天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。」(詩 19:2)と詠っている。また、イエスの十字架刑を指揮した百人隊長は、イエスの死に伴う出来事を目の当たりにして「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」(マタ 27:54)と言った。」このように、神の創造の御業と歴史は神が居られることと、今も働いておられることをあらわしている。このことからパウロは「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。」(ロマ 1:20)と警告している。信じない者ではなく、信じる者になろう。

 

2022/1/1(土) 担当 高谷清師 フィリ4:6-7 賛美 新聖歌327

 パウロは伝道者生涯を歩む中で遭遇した苦難の数々について記した後「このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」(?コリ 11:28-29)と語っている。そのような中に在ってもフィリピの信徒への手紙には「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリ4:6-7)と述べている。苦難と心配事に囲まれた中に在ってもパウロに人知を超える神の平和をもたらしたのは信仰による、感謝を込めた祈りと願いであった。

 新しい年2022年を迎えたが、私たちを取り囲むのは風雲急を告げる世界情勢、コロナウィルス感染症、その背後にあるサタンの謀略である。このような情勢下で私たちを平安に導く唯一のお方はイエス・キリストである。この年もしっかりと信仰に立ち、祈りによって歩もう。