≪デボーションの友≫2022/7/11-16

2022/7/11(月) 担当 高谷清師 ガラ 2:15-21 聖歌(総)402  聖歌 402

 パウロは「私は神の恵みを無駄にはしません。なぜなら、もし義が律法を通して得られるならば、キリストの死は無駄になってしまうからです。」と述べる。この箇所についてヘルマン・ウォルフガング・バイヤーは

「パウロにしてみればこの恵みを、律法こそ救いに不可欠の道なりと宣言する他の人々の行き方に同調して、なきに等しいものとして片付けてしまうわけにはいかない。そんな行き方をする者は、キリストの死を、それこそあらずもがなの犬死にしてしまうことになる。そもそも義が律法によって来たるべきであるということならば、十字架の事実に、なおいかなる意味があるというのか? 使徒パウロのこの主張は、当時のユダヤ教の律法を盾に取る狭義の律法主義との対決であるのみにとどまらず、さらに広く、福音になんらかのプラス・アルファを添加せずには満足できないすべての律法主義、すなわち、キリストを信ずる信仰のみでは事足りず、その他の救いの条件を掲げようとするすべての人間的試みを衝くものである。たとえばある特定の教会組織とその掟への従属を救いの条件に加えるなど、いかなる意味にもせよ福音にプラス・アルファを施して、これを救いの原理として打ち立てる態度は、すべて律法主義に通ずるものであり、現実には福音を根底から骨抜きにしてしまうのである。」(NTD新約聖書註解8 パウロ小書簡P53 NTD新約聖書註解刊行会1979) 

と記している。巧妙なサタンの策略に注意しょう。

2022/7/12(火) 担当 ラウジー満世師 創世記9:1-7 賛美 聖歌(総)789 聖歌480

 ノアとその家族と地上の動物は箱舟を通して洪水を生き延びた。命が保たれたこれらの者たちを通して次世代へといのちが受け継がれていく。神はこの再出発に際しても、人間を創造されたときと同様にノアと家族そして地の獣たちを同様に祝福される。この時は、アダムの創造の時と違って人間には動物を食料とすることが許された。それは動物を殺してその犠牲の内に成り立つものであった。これは適切に命を扱い、人間自身が生きる為に必要に応じて動物を屠ることが許されたという範囲にとどまる。これは決して人間が人間の命を奪ってよいというものではなかった。人は神に許された範囲内で、神の言葉を守り、行うべき存在である。

 神は洪水の後の新たな出発において、人間たちに新たな許可を与えられた。しかし人間同士が互いに命を奪うことはここでも明確に禁じられている。他の人々のみならず自分自身の命をも尊重する社会の中で生きることについて深く心に留めよう。

2022/7/13(水) 担当 高谷清師 ガラ 2:15-21 聖歌(総)518  聖歌500

 ガラテヤ書2:11-21を読み終えるにあたってヘルマン・ウォルフガング・バイヤーはルターについて

「ルターにとってアンティオキアでの両使徒の対決を報ずるガラテヤ人への手紙の記事がさらに別の観点からも重要な意味をもつものとなったのは、それが使徒時代の教会の理想的一致と完全性の伝説をくつがえしたからである。ぺトロですら、人々をキリストから引き離してあらぬ方へ引っぱって行く危険にはまり込んで、パウロの直言によって叱責を蒙らねばならなかった。神の真理は、それが道具として用いるあらゆる人間よりも偉大であって、それらの中の最大の器をも審くのだ。大先輩のぺトロに面と向かって責任を問い糺すパウロの勇気に励まされて、ルターは彼の時代の教会に向かって警告の声を挙げるべく勇気づけられた。宗教改革者は悟ったのであった、神の教会は個々の人間の声望に、しかり、教会の指導者たる人物たちの名声と人望に支えられているのでなくして、ひとえに福音の真理にのみよって立つものであることを。神はその選びたまいし器を用いて、この福音の真理をこそ、教会の中に宣揚させたもうものであることを。」(NTD新約聖書註解8 パウロ小書簡P55 NTD新約聖書註解刊行会1979) 

と記している。如何に人々の声望を集め、賞賛されている指導者であったとしても、福音の真理を超えることはできない。常に、福音の真理に基づくものであるかを吟味しよう。

2022/7/14(木)担当 ラウジー満世師 創世記9:8-17 賛美 聖歌(総)504 聖歌486

 洪水の後の祝福において神はしるしを伴う契約をたてられた。神は二度と洪水によって肉なるものをことごとく滅ぼされることはなさらない。神はこの契約のしるしである虹について、虹を見るときにはいつも神ご自身が立てられた永遠の契約を心に留めると言われる。この契約は神が定められ、神が制定された。そして将来にわたって思い起こすという時に、人間に思い出しなさいと命じられるのではなく、自らが思い起こすと言われる。神は人間に要求されるだけではなく、ご自身も自ら立てられた契約を人に対して公に言い表し、それを守ると述べられる。神ご自身が約束を述べ、その約束を思い起こし、二度とこの約束を違えることがなくそのことのしるしまでもご自身の意志によって人間に与えられるという。

 神は従う者に忠実であれと命じられるだけではない。ご自身が自らその言葉に対して責任を持ってくださる。信頼できる神が今も私たちと共におられる。

2022/7/15(金) 担当 高谷清師 詩 68:33-36 賛美 聖歌(総)281 聖歌301

 詩人は「地にある王国よ、神に向かって歌え/わが主にほめ歌を歌え いにしえよりの天の天を駆って進む方に。」と詠って全地の王国に主なる神への賛美を呼び掛ける。申命記は「エシュルンの神に並ぶ者はいない。/あなたを助けるために天を駆け/威光に満ちて雲に乗られる。いにしえの神は隠れ家/とこしえの腕で下から支えてくださる。/神はあなたの前から敵を追い払い/『滅ぼし尽くせ』と言われた。」(申 33:26-27と述べている。主イエスは「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」(ヨハ 16:33)と教えておられる。黙示録は「第七の天使がラッパを吹いた。すると、さまざまな大きな声が天に起こって、こう言った。/「この世の国は、私たちの主と/そのメシアのものとなった。/主は世々限りなく支配される。」(黙 11:15)と記して神の勝利を宣言している。勝利された主を賛美しつつ、勇気をもって信仰の戦いを戦い抜こう。

2022/7/16(土) 担当 高谷清師 マタ 6:11 賛美 聖歌(総)521 聖歌503  主イエスは「我らの日用の粗を今日もあたえたまえ」と教えられたのであって、「私の生涯の糧を」でもなく、ましてや「わが一族の未来永劫の糧を」でもないのである。ルカはイエスが語られた「愚かな金持ち」のたとえを記している。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らし、やがて言った。『こうしよう。倉を壊し、もっと大きいのを建て、そこに穀物や蓄えを全部しまい込んで、自分の魂にこう言ってやるのだ。「魂よ、この先何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ。」』しかし、神はその人に言われた。『愚かな者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意したものは、一体誰のものになるのか。』自分のために富を積んでも、神のために豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ12:16-21)。またパウロは「だから、地上の体に属するもの、すなわち、淫らな行い、汚れた行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかなりません。」(コロ 3:5)と警告している。貪欲を棄て、主に信頼して日々を歩もう。