≪デボーションの友≫2022/9/5-10

2022/9/5(月) 担当 高谷清師 ガラ 3:14 聖歌(総)476  聖歌463

 「キリストがわたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださったのは「アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためである」と述べたパウロは、更に「わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした」と述べる。「割礼を受けなければ救われない」というユダヤ主義者の主張を前にして不安に陥れられているガラテヤの人々に対してパウロは「あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。」(ガラ 4:6)と述べて、「アブラハムに与えられた祝福」は約束された“霊”を受けたことによって既に実現していることを明らかにしている。神は、割礼は無くてもご自分を信じる者を受け入れていてくださることを聖霊を与えることによって確証してくださっているのである。確信をもって歩もう。

2022/9/6(火) 担当 ラウジー満世師 世記16:1-6 賛美 聖歌(総)577 聖歌553

 アブラムの家庭内で争いが起こった。妻サライが子を産むことが出来ず、苦悩の末に自分に仕えている侍女のハガルと夫との間で子を得て問題を解決しようとした。ところがハガルに子が生まれると二人の女性の立場が変わり、争いが起こった。現代人の感覚ではこれは家庭内の地位と夫との関係をめぐる二人の女性の争いと憎しみと対立のドラマであろう。しかしこの背後には、初めにアブラムに与えられた子孫を与えるという神の約束があり、これこそが信仰者であるサライにとっての大問題であった。神がアブラムを召す前からサライは不妊の女と紹介されていた(11:30)。神の約束を信じて責任を感じながら過ごしていたサライの苦しみはまさに主が自分に子を下さらないことであった(16:2)。もはやこれは彼女一人の問題ではなく、アブラムと一族に対する神の祝福を脅かす問題でもあった。

 神から約束を与えられてもなかなか実現しないとき、信仰者として私たちはどう応答するだろうか。祈り続け、待ち続ける。しかしあまりに長く待ち続けるときに不安になり、自分で解決しなければと考えることもあるだろう。サライはそこで自分の力と知恵を用いて解決しようとした。切羽詰まった気持ちは理解できる。しかし彼女の解決策は別の問題を引き起こした。私たちはこのような事態に直面したらどう対応するだろうか。

2022/9/7(水) 担当 高谷清師 ガラ 3:14  聖歌(総)465  聖歌453

 パウロは「約束された“霊”を信仰によって受けるためでした」と語る。この箇所について佐竹明師は

「イエス・キリストにおいて」出来事となった事を、われわれは「信仰によって」うけ入れるのである。約束の賜物はキリストの出来事以来いわば自動的にわれわれの所有になるというのではない。そこにはわれわれの側の主体的決断に基づく、この出来事への服従が要請される。しかし他方、われわれの側の主体的行動は、決してキリストの出来事に先行するものではない。それは律法のわざではなく、キリストの信仰であり、キリストの出来事への応答に他ならないのである.」(現代新約注解金書 ガラテア人への手紙P298-299)

と述べておられる。福音に対して主体的に決断し、服従すること、自己義の主張を捨て、自分に死んでキリストに生きることによって救いはわが身に成就されるのである。

2022/9/8(木)担当 ラウジー満世師 創世記16:1-6 賛美 聖歌(総)516 聖歌498

 サライは苦悩の末に自力で見出せる希望に縋ってハガルによって子を得ることを選んだ。それは成功してアブラムは子を得たが、神の御心に反する解決であった。神に頼らない解決はさらなる問題を引き起こす。ハガルとサライの争いである。サライは今度はアブラムに責任を転嫁する(16:5)。確かに家長としてサライとハガルの間を裁く責任はアブラムにあった。家庭内の争いは激化し、サライはハガルに辛く当たり、解決のためには一人が立ち去る他に方法はなくなってしまった。

 サライがハガルによって子を得ることは、時は社会的に受け入れられる解決策であった。しかし神の約束を信じて生きる者はその実現のために人間の知恵に頼ってはならない。神が求めておられるのはどれほど忍耐を求められたとしても、神に望みを置き、信仰を置くことであった。信仰者として常に神にこそ解決があることを覚えよう。主を待ち望もう。

2022/9/9(金) 担当 高谷清師 詩 70:1-6 賛美 聖歌(総)232 聖歌 256

詩人は「あなたを尋ね求める人が/あなたによって喜び祝い、楽しみ/御救いを愛する人が/神をあがめよといつも歌いますように。神よ、わたしは貧しく、身を屈めています。速やかにわたしを訪れてください。あなたはわたしの助け、わたしの逃れ場。主よ、遅れないでください。」と詠う。2021年12月27日19:00日本経済新聞NETニュースはフランスの経済学者トマ・ピケティ氏らが運営する「世界不平等研究所」(本部・パリ)が発表した報告を伝えている。それによると「世界の上位1%の超富裕層の資産は2021年、世界全体の個人資産の37.8%を占め、下位50%の資産は全体の2%にとどまった。報告書によると、特に最上位の2750人だけで3.5%に当たる13兆ドル(約1500兆円)超を占めた。上位10%では全体の75.6%を占めた。1990年代半ば以降に世界全体で増えた資産の38%を上位1%が占めていた。」この富の偏在の情況は年ごとにその度合いを増してきたものである。その後、大国の横暴により侵攻を受けた当事国はもとより、食料の輸送が滞り、価額の高騰を招き、経済的に恵まれない国々の人々が飢餓に瀕している。このような現状を目前にする時、この詩人の祈りはより切実に迫ってくる。貧しく、身を屈めている、神を尋ね求める人々の上に喜びと讃美が満ちますようにと祈る。

2022/9/10(土) 担当 高谷清師 マタ 6:13 賛美 聖歌(総)628 聖歌590

 主は「我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく/我らの罪をも赦したまえ」と言う祈りに続いて「私たちを試みに遭わせず/悪からお救いください。」と祈るように教えておられる。御霊の導きによって信仰を与えられ、救いの恵みに与った私たちに襲いかかる第四の敵がある。ぺトロは「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」(Ⅰペト 5:8)と警告している。ヴァルター・リュティは

「悪魔には、猫と似たところがあります。猫は死んだねずみを追い回しません。猫は生きたねずみを好みます。悪魔は、この世の死んだような人々や半ば死んでいるようなキリスト者を追い求めません。悪魔は生きのいい食べ物を欲しがるものです。」(主の祈り P123 新教出版社2013) と記している。パウロは「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」(Ⅰコリ 10:12)と警告している。如何に祝福されている時も、順風満帆の時にも、謙って栄光を主に帰し、感謝と讃美をもって主に従おう。