2012/8/6-12

 

2012/08/06(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙7:26-28   賛美 聖歌596
新しい祭司職の卓越性の第三は、その職に任じられたお方が主イエスであることである。主イエスは神の御子であり、神ご自身であられた。しかし父なる神の御計画に従い、肉をとり、この世に来てくださった。罪深い肉と同じような形で地上に来、罪人の間に生き、罪人を受け入れ、罪人と食卓を囲み、罪人の友と呼ぼれた。「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです(ヘブ 4:15)」と述べられているように、わたしたちの悲しみと苦しみを体験してくださり、多くの試練に遭い、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられたのである。そして私たちの罪の供え物としてご自身を献げ、十字架につき、死んで葬られ、死に勝利して甦り、天に昇り、神の右の座につき、今も私たちのために執り成していてくださるのである。このお方こそわたしたちが必要とする大祭司なのである。
 

 

2012/08/07(火)担当 高谷満世師 サムエル記下2:8-3:1 賛美 聖歌604
 ダビデがヘブロンでユダの家の王となった。その後イスラエル軍と戦うことになった。最初の戦いはギブオンの地でサウルの子イシュ・ボシェトを擁立したアブネルらの軍との戦いであった。この戦いの中でアブネルを追跡したアサエルの死が伝えられる。しかし彼の死で終わることなくアサエルの死を確認した兄弟ヨアブとアビシャイはなおもアブネルを追跡して行った。ようやくこのときはアブネルの呼びかけに応えてヨアブらは追跡を止めて戦いは終わった。この戦いではアブネルの兵は360人が死んだと報告されるのに対してダビデの陣営では20名だけの死が報告されている。最後を締めくくる報告では(3:1)長引く戦いの中でもダビデの勢力が増してサウルの家が衰えて行ったと報告される。
 目をそむけたくなるような戦いである。今私たちがこの報告を読むときになぜこれほど多くの兵が命を落とさなければならなかったのかとの問いを避けられない。しかしここではっきりとわかることは、神は確かにダビデを立ててすでに油を注いでおられ、あらゆる状況の中でダビデが王となるように神のご計画が進展しているということである。神の言葉を信じて従おう。
 

 

2012/08/08 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 7:26-28 賛美 聖歌453
 著者は新しい大祭司のレビの系統の祭司たちに勝っている点について述べる。レビの系統の祭司たちは自らが罪ある人間であったため、まず自分の罪のため、次に民の罪のためにいけにえを献げる必要があった。律法は「モーセはアロンに言った。祭壇に進み出て、あなたの贖罪の献げ物と焼き尽くす献げ物とをささげて、あなたと民の罪を贖う儀式を行い、また民の献げ物をささげて、彼らの罪を贖う儀式を行いなさい。これは主が命じられたことである。(レビ 9:7)」と言っている。しかし新しい大祭司は罪のない完全なお方であるので、ご自分のために贖罪の献げ物と焼き尽くす献げ物とをささげる必要はなく、わたしたち罪人のためにただ一度、御自身を献げることによって、贖いの御業は成し遂げられたからです。
 御子イエスによってわたしたちの罪の贖いは完全に成し遂げられているのである。それ故、わたしたちが罪を犯し、サタンが攻め立てる時にも私たちは確信を持って主により頼もう。パウロは「だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです(ロマ 8:34)」と言っている。
 

 

2012/08/09(木)担当 高谷満世師 サムエル記下3:2-21前半 賛美 聖歌503
 全イスラエルの支配をめぐってダビデとアブネルとイシュ・ボシェトの間の駆け引きが繰り広げられる。アブネルはイシュ・ボシェトから父サウルの側女と通じたことを非難されたことに怒り、全イスラエルをダビデに手渡すことを決意する。アブネルの言葉から(3:10)は彼が実質的にイスラエルの支配者のように振舞っている様子が受け取れる。アブネルはダビデとの交渉においても駆け引きをし、全イスラエルをダビデの手に渡すために自分と契約を結ばせて優位に立とうとする。それに対してダビデは知恵ある対処をした。ダビデから不当に奪われた妻ミカルを連れて来ることを条件にする。これによってダビデは自分がイスラエルの王朝の正当な王位継承者であることを人々に思い起こさせた。と同時に、それをアブネルとの不当な交渉によって得たのではなく、イスラエルの王イシュ・ボシェトを通じて得たのである。
 アブネルと直接交渉することもできたが、ダビデはイスラエルの王であるイシュ・ボシェトを通じて自ら王位継承者であることを確認した。同時にアブネルとも知恵をもって交渉をした。主に選ばれた器に対して主は必要な知恵を与えてことをなしてくださる。わたしたちも主の働きを行うとき、主の知恵を求めよう。
 

 

2011/08/10(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 7:26-28   賛美 聖歌539
 著者は「律法は弱さを持った人間を大祭司に任命しますが、律法の後になされた誓いの御言葉は、永遠に完全な者とされておられる御子を大祭司としたのです」と語る。律法によって立てられたレビの系統の祭司たちは、自らも弱さを持つものであって自分自身のためにも贖罪の献げ物と焼き尽くす献げ物とをささげなければならないものであった。しかも、繰り返しそれをささげなければならなかった。また、死と云うものがあるため誰一人永遠に祭司の位にいることはできず、次々と新しい人が立てられなければならなかった。しかしメシヤが現れ,完全な犠牲を献げられた時、永遠の大祭司の位置を確立されたのである。パウロは「これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります(コロ 2: 17)」と言っている。恵みの時代に生かされたいるわたしたちは唯イエスを信じる信仰によって完全な救いにあずかるのである。
 

 

2012/08/11(土)高谷由紀子師コリントの信徒への手紙?9:24-27 賛美 聖歌512
 今はロンドンオリンピックのま最中です。世界中の選手たちがただ一つの金メダルの栄冠を得るために熱い戦いを繰り広げています。日本人選手も全力で競技をして大きな感動を与えてくれています。オリンピックにおいて競技をするのは一時ですが、その背後には幾年間にもわたる努力と節制があります。
 パウロはクリスチャンの生涯を競技者にたとえて日々励むことを勧めています。オリンピック選手が得る栄冠はやがて忘れられ、朽ちますが、クリスチャンが受ける冠は朽ちることがありません。わたしたちはこの朽ちることのない冠を得るために日々主に従いましょう。