2012/10/29-11/3

 

2012/10/29(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 10:19-22  賛美 聖歌 591
 これまで主イエスによってもたらされた新しい契約がいかにすばらしいものであるかを述べてきた著者は新しい契約に基づいて奨励と勧告を述べる。まず最初に「信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか」と勧める。それは主イエスがご自身をわたしたちの贖いの供え物としてささげてくださり、それによって聖所への新しい生きた道となってくださったからである。また主は復活の後、天に昇り、神の右の座に着き、大祭司としてわたしたちのために執り成していてくださるからである。更に、キリストの血は私たちを罪からきよめ、良心のとがめから解放してくださったからである。それ故わたしたちは今、信頼しきって、確信をもって真心から神に近づくことができるのである。
 

 

2012/10/30 (火)担当 高谷満世師 サムエル記下15:1-16 賛美 聖歌585
 アブサロムが赦されてエルサレムに帰ってから数年間は表面上は何事もなく過ぎていく。しかし、アブサロムは着々と王に反逆する準備を進めていた。
 アブサロムは非常に美しく、非のうちどころがない素晴らしい人物であった(14:25)。彼は人の心をひきつける魅力を持っていた。アブサロムはダビデ王が裁判官として国内の問題をさばく日に、その門に通じる道の傍らに立ち、人々が王の下へ出る前に彼らの問題を聞き、彼らの心を王ではなく、自分に向けさせるように振舞った。まさに「イスラエルの人々の心を盗み取った」(15:6)のである。
 アブサロムの美しさ、人をひきつける魅力は神から与えられたものであった。それらをアブサロムは内に抱えた復讐心を現実とするために用いた。そしてダビデもまた王でありながらアブサロムの目論見をまったく見抜くことが出来ていない。誰もがそれぞれの思惑を抱えているときに、状況が悪い方向へと動いているようである。私たちは与えられた賜物を主のために正しく用いていくことを日々心に留め、そのために主の知恵を求めてすごそう。
 

 

2012/10/31 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 10:23-25 賛美 聖歌236
 続いて著者は「公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう」と勧める。主は十字架と復活によってご自身を救い主と信じる者に罪の赦しと永遠の命を与えてくださった。復活は主の死に対する勝利であり、それによって神の国は実現した。しかし私たちの住む今の世はパウロが「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました(エペ 2: 2)」と述べているように、罪の支配に服している。主イエスがファリサイ派の人々の「神の国はいつ来るのか」との質問に対し「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ 17:20-21)と答えられたように、今の世に在っては神の国は部分的であり、その完全な実現は未来に属している。そしてそれは必ず実現する。なぜなら約束してくださったお方は真実なお方だからである。それ故、それはキリスト者の希望であり、その希望を揺るがぬようしっかり保ち続けることが求められる。
 

 

2012/11/01(木)担当 高谷満世師 サムエル記下15:13-37 賛美 聖歌503
 ダビデの下へアブサロムが民の心をひきつけているとの知らせが届いた。このような事態を招いた背景には、ダビデがアムノンの罪に適正に対処しなかったことがあった。この知らせが届いたとき、ダビデはエルサレムの破壊を回避するために即座に都を出て逃れること、その際、アブサロムの手にかからないであろう側女を10人残して都を守らせることを即座に決め、実行した。危機に対処するダビデの力は衰えていなかった。またダビデが都を出るとき、ダビデに従おうという者も数多かった。なおもダビデは愛される王であった。しかしこの状況にあって注目すべきはダビデがなおも心を神に向けていることである(15:25-26)。主がなおダビデ自身を省みてくださるなら、自分はエルサレムへ戻る。そこにも主の御心がなるようにという信仰を持っていた。
 ダビデはいくつかの事件に正しく対処できなかった。それでもなお、彼の心は主を畏れ、主を求めていた。最も大切なことは失敗しないことではなく、失敗してもなお心から主をしたい求め、従うかどうかである。
 

 

2011/11/2(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 10:23-25  賛美 聖歌 580
 それ故、罪の支配する世に在って生きる私たちは、愛と善行に励むように心がけるべきである。なぜなら、愛は主の与えられた新しい戒めだからである。主は「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい(ヨハ13: 34)」と教えられたのである。またパウロは「だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい(?テサ 5: 15)」と勧め、更に「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい(ロマ 12: 21)」と語っている。罪に服し、悪の横行する世にあってもわたしたちは悪をもって悪に報いてはならない。どのような時にも善をもって悪に勝利する者となろう。
 

 

2012/11/3(土)高谷由紀子師 ルカによる福音書 12:4−7 賛美聖歌347
 キリスト者の生涯もすべてが平穏無事に進んでいくというわけではない。戦争や迫害によって身が危険にさらされる時もある。しかし神は一人ひとりの魂と体全てを御手によって治め、支配しておられる。故に身に死に至るような危険をもって迫る者があってもそれを恐れてはならない。彼らは体を殺しても、その後、それ以上何もできない者である。真に恐るべきお方は殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方―神様である。