2012/10/22-27

2012/10/22(月) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 10:14 賛美 聖歌 421
 日ごとに、また年ごとに献げられるレビ系祭司の献げ物によっては成し遂げることのできなかった御業をキリストは唯一の献げ物によって完全に成し遂げられた。それ故、キリストを受け入れる者は罪から解放され、神に受け入れられた礼拝者として神に近づくことのできるものとされ、永遠に完全な者とされているのである。わたしたちが日々の歩みにおいて心ならずも罪を犯す時、サタンはその罪を攻め立て「もう神のもとには戻れない」と囁くのである。しかしパウロは「だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです(ロマ 8:33)」と言っている。主の赦しの恵みは完全である。確信をもって主により頼もう。
 
2012/10/23 (火)担当 高谷満世師 サムエル記下13:23-39 賛美 聖歌543
 アブサロムは妹タマルがアムノンに辱められてからの2年間、アムノンに対する怒りと憎悪を持ち続け、復習の機会を狙い続けていた。そして王子全員を招いて羊の毛刈りを催した際に、アムノンをも招くことに成功する。そこでアブサロムはかねてから考えていた復讐を実行し、アムノンを殺した。アブサロムは殺人の罪を犯した。アムノンが姦淫という、父ダビデの罪を追っているのと同じように、アブサロムもまた父ダビデがウリヤを殺したようにアムノンを殺した。
 このことの背後には何があったのだろうか。もちろんアブサロムは妹タマルのために復讐を願う気持ちが強かったのだろう。しかし、同時にこの出来事の後のアブサロムの行動を見てみるならば、妹のためだけではなく、自分が王位を奪うために自分よりも王座に近いアムノンを殺そうという意図も見える。そしてダビデはこの一連の出来事を扱うにあたってかつてのように神に従うことを第一としてはいない。彼もまた自分の感情に流され、二人の息子を失ったことをただただ嘆くのみである。
 ひとつの罪は重大な傷を残し、大きな代償を払わなければならなくなる。大切なことは、たとえ罪を犯してしまったとしても、その後自分の感情や弱さに流されるのではなく、神に聞き続け、従い続ける姿勢で歩むことである。
 
2/10/24 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 10:15-182 賛美 聖歌 572
 この箇所においては著者がこれまで述べてきた事柄を、霊感された神の言葉を聖霊の証しとして引用することによってより確かのものとして提示する。ここには「わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにそれを書きつけよう」と記されている。この言葉は私たちの心に、神の律法を、それを遂行する意志と能力と共に刻み込むことを示している。パウロは「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからですロマ 5:1-5)」と述べている。聖霊は私たちに神の御心を示すだけではなく、それに従い、行う力をも下さるのである。
 
2012/10/25(木)担当 高谷満世師 サムエル記下14:1-33 賛美 聖歌514
 ますます事態は深刻になる。ダビデはもはや神の御心を求めるよりは自分の感情を優先して、罪を犯した息子アブサロムに恩赦を与え、帰国させる。そこにはヨアブの思惑が絡み、またアブサロムの暴虐な振る舞いが見え隠れしている。
 ダビデのように神に選ばれ、神の御心を第一に歩んできた者でさえも、神の御心から離れてしまうことが起こりうる。私たちはこのことを心して、毎日「今日も主の御心を求め、主とともに歩みます」という決意と告白をなし、主にしたがっていかなければならない。今日も主の御手に頼り、知恵をもって歩もう。
 
2011/10/26(金) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 10:17-18   賛美 聖歌 157
 さらに「もはや彼らの罪と不法を思い出しはしない。」と記されている。これは.過去の罪や不法が神の記録から永遠に消し去られ、自分を訴える証拠として取り上げられないことを確証する言葉である。人がこの世において世の罪を犯すなら罰を受ける。刑務所に収容され、刑に服する。刑期を終えて出所してもその記録は戸籍に記され、生涯にわたって付きまとう。しかし主の赦しは私たちの罪を神の記録から永遠に消し去るのである。パウロは「神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいましたコロ 2:13b-14)」と述べている。キリストによって与えられた神の赦しは完全である。 

2012/10/27(土)高谷由紀子師 マルコによる福音書 12:41−44 賛美 聖歌541一行はイエス様の「向こう岸に渡ろう」と言う言葉によって船出をしました。ところが突然激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどでした。弟子たちは恐怖に襲われ、パニックに陥りました。この時気がつくとイエスは艫の方で枕をして眠っておられました。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言いました。イエス様が起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われると風はやみ、すっかり凪になりました。わたしたちの主は大自然をも従わせるお方なのです。わたしたちの生涯には平穏な日ばかりではなく、試練と困難の中におかれる日があります。そのような時、天地の主であられるイエス様が共にいてくださるなら、それらのすべてに勝利することができるのです。イエスに対する信仰を堅く持って勝利の人生を歩みましょう。