2013/4/8-13

 

2013/4/8(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙12:4 賛美 新聖歌458・聖歌514
 続いて著者は「あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」と述べる。キリスト者の罪との戦いには「内在する罪」との戦いと、サタンの支配のもとにある世から発せられる「敵意」との戦いがある。御子は罪の無いお方であられたので「内在する罪との戦い」は存在しなかったが、私たちは絶えずこの罪と戦わなければならない。これについてはパウロがローマの信徒への手紙第7章において詳しく述べている。このテキストにおいて著者が扱っているのはキリストが戦われた「敵意」との戦いである。主は弟子たちに「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである(ヨハ 15:18-19)」と教えられた。本書が記された当時、主の弟子たちに対する迫害は「血を流す」までには至っていなかったのであろう。しかし教会の歴史においては敵意との戦いにおいて多くの血が流された。聖書は「あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう(黙2:10)」と勧めている。
 

 

2013/4/9(火)担当 高谷満世師 列王記上8:22-25 賛美 新聖歌2 聖歌484
 ソロモンは会衆の前で神に向かって祈り始める。最初の祈りはダビデの家、王朝のための祈りであった。祈りの冒頭でソロモンは神を賛美している。それは、比類なき神であり、契約に対して忠実であり、特にダビデとの契約に忠実であられる神である。ソロモンは神殿が完成し、これから更に神との関係の中で、神の守りと恵みにおいて国を治めていこうとするときの祈りにおいて、まず神を賛美している。
 私たちは大きな問題を抱え、切実な願いをもって神の前に祈りを献げるとき、祈りの冒頭からただ願いを訴えようとする。天の父なる神への呼びかけも、いつもの定型句としてそこそこに済ませ、神への賛美が省略され、あるいは忘れ去られる。しかし、ソロモンの祈りに見るように、神との関係、祈りにおいてまずなされるべきは願いの訴えではなく、神を神として賛美することである。今日の祈りも賛美をもって始めよう。
 

 

13/4/10 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 12:5-8 賛美 新聖歌455・聖歌512
 箴言には「わが子よ、主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな。かわいい息子を懲らしめる父のように、主は愛する者を懲らしめられる(箴 3:11-12)」と記されている。主は私たちを神の子と呼ばれるにふさわしい者とするため訓練される。その訓練は痛みを伴うものであり、肉には喜ばしいものとは思われない。また、終わりの見えない絶望的なものに思われる時があるかもしれない。しかしパウロは「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます(?コリ10:13)」と述べている。試練の中にあって涙している方々、絶望の淵にある方々、もう一度御言葉に耳を傾けてください。十字架の主を見上げてください。主の愛の眼差しは今、あなたに向けられているのです。この拙文を呼んで下さる方々、国の内外にあって敵意に直面しておられる方々のために共に祈ろう。
 

 

2013/4/11(木)担当 高谷満世師 列王記上8:26-53 賛美 聖歌501
 賛美に続いて、七つの願いの祈りが捧げられる。偉大な神は神殿という場所には閉じ込められない方であるが、天に居られ、天から目を注ぎ、神の民が捧げる祈りを昼も夜も聞いてくださる。ここにあげられる七つの祈りは、あらゆる祈りの代表である。この祈りの背景として、申命記28章の呪いを思い起こす。あらゆる状況において、神に祈りを献げ、願いを聞いていただくことが出来る。さらに、最後には、もし罪を犯して捕虜にされたときには、そこで立ち返って祈るなら、聞いてくださいという祈りを献げる。罪を犯したときにすら、悔い改めるならば聞いてくださいと願うことが出来、それを大胆に願っている。
 『罪を赦してください』これは主の祈りの中にも見られ、クリスチャン生活においても私達がしばしば献げる祈りである。この箇所でソロモンの祈りを見るときに、私たち自身も赦しを求める祈りを献げるときに、「立ち返る」すなわち、悔い改めることが必要であり、それこそが赦しと救いへの鍵であることを思う。
 

 

2013/4/12(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙12:5-8 賛美 新聖歌222・聖歌442
 著者は「主は愛する者を鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるからである」と述べる。箴言には「鞭を控えるものは自分の子を憎む者。子を愛する人は熱心に諭しを与える(箴 13: 24)」と記されている。ヨハネは「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハ 3:16)」と述べている。主は私たちがご自身の民として整えられるために鞭打たれる。それは深い愛―十字架の愛・ご自身を与え尽くす愛―に裏付けられている。
 三浦綾子氏は「道ありき」の中で前川正氏が彼女を愛していのちのことば―福音を伝え、それが彼女の心にひびかないのを見た時の前川正氏の行動を「綾ちゃん!だめだ。あなたはそのままではまた死んでしまう!」彼は叫ぶようにそう言った。深いため息が彼の口を洩れた。そして、何を思ったのか、彼は傍にあった小石を拾いあげると、突然自分の足をゴツシゴツンとつづけざまに打った。さすがに驚いたわたしは、それをとめようとすると、彼はわたしのその手をしっかりと握りしめて言った。「綾ちゃん、ぼくは今まで、綾ちゃんが元気で生きつづけてくれるようにと、どんなに激しく祈って来たかわかりませんよ。綾ちゃんが生きるためになら、自分の命もいらないと思ったほどでした。けれども信仰のうすいぼくには、あなたを救う力のないことを思い知らされたのです。だから、不甲斐ない自分を罰するために、とうして自分を打ちつけてやるのです」記しておられる。(新潮文庫 道ありきp66)。指導者には涙と痛みを伴う愛が求められる。
 

 

2013/4/13(土) 担当高谷由紀子師 ヨハネによる福音書 16:33 賛美 新聖歌315・聖歌503
 イエスは十字架に架かり世を去る時が近づいたことを思い、世に残される弟子が不安・艱難・迫害に遭うことを知って弟子たちにとっては励ましとなる勝利の約束をされました。
 世界中のだれもが「悩み」をもっています。金持ちや王さまであっても、一人として例外はありません。苦しみ、悩み、辛いこと、いやなことが一度もなかったと言う人はいません。主は「あなたがたには世で苦難がある。」と言われました。これらの苦難に耐えられず、人に助けを求めたり自暴自棄になって投げやりな生活をしたり苦難から逃れるために快楽や飲食をもって一時的な気休めを求めたりします。しかしこれらのことによっては決して解決も前進もしません。「しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」と主は言われました。わたしたちが信じている主は世に勝利し、この世の支配者であるサタンに打ち勝たれた主です。信仰をもって主の約束してくださった勝利の道を歩みましょう。