2013/5/6-11

 

2013/5/6(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙12:18-24 賛美 新聖歌341・聖歌591
 この箇所において著者は律法と福音について語っている。神がイスラエルに律法を付与された時の様子は出エジプト記19−20章に記されているとおり、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、を伴うもの、であり、『モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」(出 20:19)』と記されているように、恐れを伴うものであった。それに対して主は「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである(マタ 11:28-30)」と語っておられる。十字架の贖いの恵みによって、罪人である私たち恐れることなく、信仰によって神に近づくことができるのである。
 

 

2013/5/7(火)担当 ラウジー満世師 列王記上11:1-25 賛美新聖歌385
 10章にはソロモンの知恵と繁栄という、神からの祝福と、ソロモンの従順について詳細に記されていた。ところが、11章に入って突然大きく趣が変わる。ここには明確にソロモンが罪を犯したことが指摘されている。ソロモンは諸国から妻を迎えた。そして彼女たちが持ち込んだ偶像礼拝にソロモン自身が影響を受け、迎合していった。
 イスラエル国内から異国人を滅ぼし尽くせという命令はイスラエルが約束の地に入る当初から厳しく命じられていたが、守れないで居たものであった。ソロモンでさえも異国人が持ち込む偶像礼拝に引き込まれ、神を愛して完全に従うことが出来なかったのである。そしてそのときに神の裁きは明確で厳格であった(11-13)
 私達の信仰の歩みの中に神との関係を妨げる小さな躓きの石は落ちていないだろうか。「これくらいは大丈夫」とそれを見過ごしてはならない。神との関係を壊す種になりうるものはどんなに些細なものであってもすぐに取り除かねばならない。
 

 

2013/5/8 (水)担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 12:18-24 賛美 新聖歌355・聖歌595
 「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです」と記されている。出エジプト記には「民のために周囲に境を設けて、命じなさい。『山に登らぬよう、また、その境界に触れぬよう注意せよ。山に触れる者は必ず死刑に処せられる。その人に手を触れずに、石で打ち殺すか、矢で射殺さねばならない。獣であれ、人であれ、生かしておいてはならない。角笛が長く吹き鳴らされるとき、ある人々は山に登ることができる(出 19:12-13)」と記されている。律法においては、人は神に近づくことはできなかったが、マタイによる福音書には『このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である(マタ 1:22-23)』と記されているように、恵の時代、神は常に私たちと共にいてくださるのである。
 

 

2013/5/8(木)担当 ラウジー満世師 列王記上11:26-43 賛美新聖歌399・聖歌585
 ソロモンが外国の神々へ心を迷わせたとき、神はソロモンを直接戒められた(10)が、ソロモンはそれに聴き従わなかった。それでもソロモンの治世は表面上平和に過ぎていった。しかし神は不従順なソロモンの罪を見過ごされたわけではなかった。預言者アヒヤの口を通して明確に王国を引き裂くことを宣言され、水面下でそのことを始めておられた。
 信仰生活において自分で気付かずして神にそむいていることはないだろうか。神がそのことを私たちにわかる形で警告されていることはないだろうか。それは神に立ち返るチャンスであり、恵のときである。そのような神の語りかけにも敏感でなければならない。神は人を愛し抜かれるが、ソロモンのように、人が神を捨てることがある(33)。そのような人の罪に対して、神は明確な裁きをなさる。
 私たちは今日も神を愛し、神に従順に歩んでいるだろうか。今日も私達の心が神と一つであるように祈ろう。
 

 

2013/5/10(金) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙12:18-24 賛美 新聖歌324・聖歌496
 著者は「あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか」と語る。律法はモーセによって語られた。即ちモーセは地上で神の御旨を告げる人であった。このモーセをイスラエルはしばしば拒んだ。それ故、彼らは罰を逃れられなかったのである。しかし新しい契約の仲介者イエスは、見えざる王座である天のシオンから語られるのである。このお方を拒む者は、地上で神の御旨を告げるモーセを拒むよりもはるかに厳しい罰を受けるのである。誠をもって福音に聞き従おう。
 

 

2013/5/11(土)担当 高谷由紀子師 ルカによる福音書12:4-7 賛美 新聖歌311・聖歌347
 クリスチャンはこの世にあって多くの困難や危険に見舞われることがある。世の権力者やサタンの攻撃に会い、迫害され、殉教に追い込まれることがあるかもしれない。しかし主は「殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方を恐れなさいと言っておられる。神の配慮は一人一人に行き届いている。一羽の雀さえも忘れることなく守られる神である。わたしたちの髪の毛までも一本残らず数えておられるお方である。どのような権力、世の支配者をも恐れる必要はない。神はすべてに勝って力あるお方である。