2013/5/13-18

 

2013/5/13(月)担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙12:25-29 賛美 新聖歌374・聖歌555
 著者は「あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい」と警告した後、「地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか」と語る。かつて神はシナイ山から語られた。それを聞いた人々がその御声に聞き従うことを拒んだため、不服従の故に苦しんだことをモーセ五書は明らかにしている。今日、主は見えざる王座である天のシオンから語っておられるのである。古い契約の基盤となる命令を神が宣言されたのは、山の上から、即ち地上からであったが、福音が語られているのは、天からである。地上から語られる御声を拒む者が罰せられたとすれば、端からの御声を拒む者は更に厳しい罰を受けるであろう。心して福音に聞き従おう。
 

 

2013/5/14(火)担当 ラウジー満世師 列王記上12:1-20 賛美 新聖歌415 聖歌57
 ソロモンについで王となったレハブアムの統治の最初の出来事である。ソロモンの死後、ヤロブアムがエジプトから呼び戻され、彼は今レハブアムの前に出て、民の代表としてソロモン王から課せられた過酷な労働と重いくびきの軽減を求めている。
 この嘆願を聞いたレハブアムはまず経験と知恵ある長老達に助言を求めた。彼らは、今はまずレハブアムがへりくだって民の要求を聞き、王自らがまず民に仕えるように助言した。しかしそれが気に入らなかったレハブアムは同年代の若いリーダーを集め、彼らの意見を聞いた。若者達は嘲りを含んだ口調で、そのような要求は退けるべきだと答えた。
 レハブアムはその統治の最初に当たってこの問題に直面したとき、まったく愚かな行動を取った。ただただ自分の力を示すことだけを目的とし、神に仕える者としての敬虔さも謙遜さも持たなかった。それゆえ、彼は判断を誤り、国は分裂するに至った。人は地位や血筋に関わらず、神に委ねられた働きに忠実に歩むために、常に謙遜さを持たなければならない。
 

 

2013/5/15 (水)担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙12:25-29 賛美 新聖歌284・聖歌605
 律法賦与の時の様子について出エジプト記は「シナイ山は全山煙に包まれた。主が火の中を山の上に降られたからである。煙は炉の煙のように立ち上り、山全体が激しく震えた(出 19:18)」と記している。そして主は「まことに、万軍の主はこう言われる。わたしは、間もなくもう一度、天と地を、海と陸地を揺り動かす(ハガ 2:6)」と語っておられる。そして著者は「揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています」と語る。これについてパウロは「兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません(?コリ15:50)」と語る。
 聖書終末について預言している。今の世が滅ぼされ永遠の御国が訪れるのである。肉と血、世に属するものは永遠の御国を継ぐことはできないのである。それ故、パウロは「さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます(コロ 3:1)」と勧める。
 

 

2013/5/16(木)担当 ラウジー満世師 列王記上12:21-33 賛美 新聖歌414・聖歌572
 ヤロブアムは北イスラエルの王となった。それまではヤロブアムについて列王記は好意的に記している。しかし即位後、彼は王としての敬虔さを失い、民の心をつなぎとめるために間違った礼拝を持ち込んだ。申命記において禁じられた中央聖所以外で燔祭をささげ、二頭の牛をささげ、偶像礼拝を持ち込んだ。ヤロブアム以後の王は、ヤロブアムがこのとき犯した偶像礼拝の罪を基準として、良し悪しが判断されていく。
 北王国はヤロブアム以降も王朝が何度も交代する。王朝が変わるとき、新王朝の王はヤロブアムのように神に対して謙遜な王として登場し、即位する。しかしどの王朝もわずかの期間で神に背き、捨てられる。
 神との歩みのはじめにおいて力強く歩み始める王は幾人かいたが、その信仰と謙遜を守る通すことは困難であった。今日のクリスチャンも同じチャレンジを受けている。神を信じて十字架の救いを受け入れ、信仰告白してクリスチャンとして歩みだすことも大きな決断であるが、その決断を生涯守り通すこともまた困難である。神の力によって、成し遂げさせていただこう。
 

 

2013/5/17(金)担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 12:25-29 賛美 新聖歌260・聖歌460
 著者は「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう」と勧める。この箇所に関してカルヴァンは「福音を受け入れるとき、キリストの御霊が私たちに与えられ、私たちをして恐れと尊敬をもって神に仕えしめるのである。信仰によって私たちはキリストの王国に入るのだから、私たちはゆるがぬ感謝を得る。この感謝は神に仕えさせる実効を伴うということである。神に仕えよう、神に喜ばれるように、尊敬と恐れをもってと言うとき、神に捧げる服従は速やかで、喜びをもってなされることを著者は要求する」と(カルヴァン新約聖書注解??P281)。ただ信仰によって御国を受け継ぐ者とされた恵の偉大さを思い、日々感謝しつつ、神に喜ばれるように仕えていこう。
 

 

2013/5/18(土)担当 高谷由紀子師 ヨハネによる福音書3:1-6 賛美 新聖歌359・聖歌453
 ニコデモはファリサイ派に属する律法・宗教学者で、ユダヤ人の指導者でした。地位も身分も権威も持ち合わせた人でした。このニコデモが、イエスがなさっていたしるしと奇跡に感動して、偉大な人と尊敬の念を抱いていました。そして神のもとから来られた教師であると言いました。イエスの答えは、しるしや奇跡は真に重要なものではなく、むしろ重要なことは新生して神の国に入ることであるということでした。
 人は道徳や修養により人格を向上させ、その結果神を知るのではない。また、神がなさる様々な奇跡に感心し、次々と自分に起こる奇跡を体験することによって救われるのでもない。イエスははっきりと言われました。「人は新たに生まれなければ神の国を見ることはできない。」ただ、神の霊により自らの罪を認め、悔い改め、十字架の贖いを信じる事によってのみ、神の子として新生することができるのです。