2013/6/24-29

 

2013/6/24(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙13:15 賛美 こどもさんびか14
 「わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです」と語った著者は「だから、イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう」と勧める。古い時代には、礼拝の度に罪を贖うための動物の血が、大祭司によって聖所に運び入れられた。しかし永遠の犠牲の子羊がささげられた今、繰り返し罪を贖うための動物の血が献げられる必要はない。信仰により、キリストの血によるあがないの恵みに与かった者は霊と眞をもって礼拝するのである。パウロは「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。ピリ 2:9-11)」と述べる。更に「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい(エフェ6:18)」と勧める。祈りの究極は賛美である。詩篇には「告白をいけにえとしてささげる人は/わたしを栄光に輝かすであろう。道を正す人に/わたしは神の救いを示そう(詩 50:23)」と記されている。絶えず祈りと賛美をささげつつ歩もう。
 

 

2013/6/25(火)担当 ラウジー満世師 列王記上17:1-7 賛美 新聖歌390 聖歌511
 預言者エリヤが登場する。エリヤについては簡潔に紹介されるだけである。そしてこれからエリヤと激しく対立していく王アハブに対して早速神の言葉を告げる。それは数年の間、旱魃が続くというものであった。当時、イスラエル周辺諸国では人々はバアルを神として信じており、このバアルが雨をもたらすと考えていた。しかしエリヤはイスラエルの神、主が旱魃を終わらせ、雨を降らせると告げた。そして神の言葉に従って荒野の川のほとりに身を隠した。荒野は死と隣り合わせの命がない場所であった。エリヤはそのような場所へ行くようにと神から命じられた。エリヤは命がとられるであろうと考えられるその場所へ、神の言葉を信じて向かって行った。果たして主はその言葉の通りに烏を通してエリヤに上等の食べ物を与え、必要な水も備えられた。
 この偉大な預言者の登場について語る最初の出来事の中で、預言者に見る一つの際立った特徴がある。それは彼の神に対する従順である。主に用いられるためには主の言葉を聞き分け、受け止め、従順であることが大切である。
 

 

2013/6/26 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙13: 16 賛美 新聖歌155・聖歌482
 更に著者は神に喜ばれるいけにえについて語る。善い行いと施しである。主は「そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』(マタイ25:40)」と語っておられる。更に天使は、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていたコルネリウスに対し「「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた(使 10:4)」と語っている。わたしたちが為す良い行いと施しは神に届き、覚えられているのである。さらに主は「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける(マタ 10:42)」と語っておられる。わたしたちが愛によって為す善い行いと施しは神に受け入れられ、喜ばれ、必ずその報いを受けるのである。倦むことなく善い行いと施しに励もう。
 

 

2013/6/27(木)担当 ラウジー満世師 列王記上17:8-16 賛美 新聖歌338 聖歌596
 エリヤは荒野からシドンのサレプタへ行くよう命じられ、従う。これは後にアハブ王の妻イゼベルの出身地であることがわかる。エリヤは今や、人々が偶像バアルを信じる異国の地に導かれたのである。そしてここでも神の言葉を伝える。
 エリヤは今まさにわずかの食料が家に残っているだけの女に声をかけ、わずかな食材でエリヤのためにパンを作るよう願う。この女はまさに今この残りわずかな食物を子どもと一緒に食べて死を待つという覚悟を決めていた。しかしエリヤは主を疑うことなく、大胆にもこの異邦人女性に対して、イスラエルの神、主が、再び雨が降るまでこの女の家の食物は尽きることがないと約束されていると語り、神の御心を伝え、エリヤ自身のためにパンを作るようにと再度要求する。
 1節から7節において、エリヤはただ従順に従った。ここでは神に従いつつ、もう一歩踏み出して、大胆に神の言葉を伝えている。私たちも神の言葉とはかけ離れた現実を目にするような状況においても、神を信じて行動したい。
 

 

2013/6/28(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 13:9 賛美 新聖歌423・聖歌340
 続いて著者は「指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい」と勧める。その指導者たちについて「この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています」と語っている。パウロが「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ(ロマ 1:1)」、「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ(ガラ 1:1)」と述べているように、指導者は神によって選び出され、召され、たてられているのである。そして「エルサレムよ、あなたの城壁の上にわたしは見張りを置く。昼も夜も決して黙してはならない。主に思い起こしていただく役目の者よ、決して沈黙してはならない(イザ 62:6)」、「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの家の見張りとする。わたしの口から言葉を聞くなら、あなたはわたしに代わって彼らに警告せねばならない(エゼ 3:17)」と述べられているように、その使命を与えられている。従って、指導者を、神からのものとして受け入れ従うことが求められる。指導者については、後日、更に考察を深めたい。
 

 

2013/6/22(土)担当 高谷由紀子師 ルカによる福音書8:1-3 賛美 新聖歌438・聖歌530
 「エスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた」と記されています。そしてその宣教には十二人の弟子たちのほかに、悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たちが同行し、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していました。彼女たちは信仰と献身によって主の宣教の働きを支えたのです。彼女たちの働きは地味な影の働きでしたが、不可欠のものでした。わたしたちも、与えられた働きが目立つ働きであれ、目立たない影の働きであれ、心をこめて仕えましょう。