2013/6/17-22

 

2013/6/17(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙13:9 賛美 新聖歌220
 「いろいろ異なった教えに迷わされてはなりません」と述べた後に、「食べ物ではなく、恵みによって心が強められるのはよいことです。食物の規定に従って生活した者は、益を受けませんでした」と語る。パウロは「しかし、“霊”は次のように明確に告げておられます。終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する者がいます。このことは、偽りを語る者たちの偽善によって引き起こされるのです。彼らは自分の良心に焼き印を押されており、結婚を禁じたり、ある種の食物を断つことを命じたりします。しかし、この食物は、信仰を持ち、真理を認識した人たちが感謝して食べるようにと、神がお造りになったものです(?テモ4:1-3)」と述べている。当時、はびこり始めた「異なった教え」を考えていたのであろう。また、新共同訳の訳者が「食物の規定に従って生活した者は」と訳しているのは(口語訳は「食物によって歩いた者は」新改訳は「食物に気を取られた者は」と訳している)律法を念頭においていることが考えられる。いずれにしても、人は律法によっては義に至らず、キリストによってもたらされた恵によってのみ、義とされるのである。信仰により恵の内を歩もう。
 

 

2013/6/18(火)担当 ラウジー満世師 列王記上15:25-16:7 賛美 新聖歌427 聖歌520
 イスラエルの王ナダブとバシャについて記されている。彼らは神に従わず、主の目に悪とされることを行った。それゆえ主の祝福を受けることがなかった。神は不従順なナダブをわずか一年間で王位から退けられた。バシャの謀反の背後には神の言葉があった。神はアヒヤを通してすでにヤロブアムに対して、神がヤロブアムを選んで王としたにもかかわらず、彼が神に罪を犯したので、「・・・わたしはヤロブアムの家に災いをもたらす。ヤロブアムに属する者は、イスラエルにおいて縛られている者も、解き放たれている者も、男子であれば、すべて滅ぼし、人が汚物を徹底的にぬぐい去るように、わたしはヤロブアムの家に残る者をぬぐい去る。(14:10)」と語っておられた。
 神は語られる。そして神の言葉は必ず成就する。私たちは神の言葉をどれほど重く受け止め、実現する言葉として受け止めているだろうか。主のみ言葉を聞こう。そして成就することを信じて待ち望み、忠実に与えられた働きを進めよう。
 

 

2013/6/19 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙13: 10-12 賛美 新聖歌225・聖歌447
 著者は「わたしたちには一つの祭壇があります」と言う。レビ記16章によると犠牲の動物の血は大祭司によって至聖所に運びいれられ、祭壇に注がれた。しかし「至聖所のための贖いの儀式を行うために、その血を携え入れられた贖罪の献げ物の雄牛と雄山羊は、宿営の外に運び出し、皮、肉、および胃の中身を焼却する(レビ 16:27)」と記されている。即ち、幕屋に仕えている人たちは、それから食べ物を取って食べる権利がなかったのである。
 これらのことから著者は、私たちが幕屋に仕えるなら、即ち律法に生きるなら私たちはキリストの恵みにあずかることができないことを明らかにしている。わたしたちが信仰によって、祭壇、即ちキリストの贖いの恵みにとどまる時、聖なる者とされるのである。
 

 

2013/6/20(木)担当 ラウジー満世師 列王記上16:8-34 賛美 新聖歌369 聖歌545
 北王国の王たちについて語られている。ここに記されているエラ、ジムリ、オムリ、アハブは皆、主の目に悪とされることを行った。そしてそれぞれが罪を犯しただけではなく、イスラエルにも罪を犯させたと記されている(16:13, 19, 26)。アハブについては今日読んだ箇所において明言されていないが、彼の治世について述べられることをみるなら、彼の甚だしい偶像礼拝によってイスラエル全体が偶像礼拝の罪へと惑わされたことがわかる。
 イスラエルの王は神によって選ばれた神の民の10部族の指導者であった。その指導者が神に背くとき、それは指導者個人の罪にとどまらず、彼の元にある民全体が惑わされていくのである。神に選ばれて導き手となるということは特権階級の座を手に入れて、良い思いをするということではない。それはむしろ神に委ねられた民の魂に責任を持つということである。
   今日の教会で指導者になる者は―教職であれ、役員であれ、信徒リーダーであれ―その委ねられた責任の重さと、それに伴う神の厳しさをもしっかり理解して、主の哀れみにより正しく治めていかなければならない。今日の教会に問われている大きな課題ではないだろうか。
 

 

2013/6/21(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 13:9 賛美 新聖歌458・聖歌514
 著者が「だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです」と述べる。主イエスは私たちを律法から解放するために苦難を受けられた。そして主は「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう(ヨハ 15:19-20)」と語っておられる。またパウロは「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます(?テモ3:12)」と語っている。
 私たちは恵によって世から贖いだされた者である。従って世に属してはいない。それ故、世からの迫害は避け得ない。しかし主は「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている(ヨハ 16:33)」と語っておられる。堅く立って信仰の戦いを戦い抜こう。
 

 

2013/6/22(土)担当 高谷由紀子師 マルコによる福音書3:7-10 賛美 新聖歌451・聖歌616
 イエスのしておられることを残らず聞いたおびただしい群衆がイエスのもとに集まって来た。イエスが多くの病人をいやされたので、病気に悩む人たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。主は「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである(マコ 2:17)」と語っておられる。
 今日においても心身に病を持ち癒しを必要としている人々が多くいる。先に救いに与かった私たちは、それらの人々に福音を証し続けなければならない。