2014/5/5-10
- 2014.05.05
- ディボーションの友
2014/5/5(月) 担当 高谷清師 ?コリ7:1-7賛美 新聖歌374
結婚生活においては「互いに自分の体を意のままにする権利を持たず、それを持っているのは相手である」と記したパウロは「互いに相手を拒んではいけません」と述べる。その上で「専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です」と語る。祈りは日常のクリスチャン生活の基本的要素であって、結婚生活においても欠かすことはできない。しかし私たちの人生には時として重大な局面が訪れ、祈りに専心する必要に迫られる。パウロはそのような時、専ら祈りに時を過ごすため別れることを認める。しかしそれは「しばらく」であり、「また一緒になる」と言うのが条件である。それは「あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないから」である。これについてカルヴァンは「むかしの人々は、永遠の禁欲の誓いを、あやまって無分別に認めてしまい、あやまりにおちいったのであった。かれらの理くつは、このようなものである。夫婦が、しばらくの間、時に、互いの合意によって進んで情を制するのがよいことであるならば、永遠に節制をつづけるのは、もっともっとよいことであるはずだ」。ところが,かれらは、そこにはどんなに危険がひそんでいるかをよく考えてみなかったのである。わたしたちが、自分の力にあまるようなこと、自分の愚かさの限度を越えるようなことをこころみるのは、サタンにわたしたちを制する機会を与えるようなものである。それなら、サタンに抵抗すればよいではないか、と言う人があるかもしれない。よろいかぶとや楯がないと言うのか。それなら、主がそれらを下さるようおねがいすればよいではないか、とその人たちは言う。しかし、わたしたちが、思いあがったこころみのために神の助けを祈りもとめても、むなしいことである(カルヴァン新約聖書注解?コリント前書P157新教出版社)」と述べている。自分を過信せず、謙虚に御言葉に従うことが大切である。
2014/5/06 (火) 担当 ラウジー満世師 歴代誌上5:27-6:66 賛美 新聖歌312
レビ族の系図である。レビの子孫はユダの子孫の系図の次に長い。歴代誌を読むと神殿とその祭儀に特に注目していることがわかる。この時代の神殿と祭儀はダビデの家によって作られ、保たれた。この系図では最初に祭司たち、レビ人たち、神殿での詠唱者たちについて扱われる。これらはすべてレビの子孫である。詠唱者たちはダビデによって任命された。ダビデによって形づくられた祭儀が、のちにソロモンが建設する神殿にも引き継がれていった。実際に神殿を建てたのはソロモンであったが、そこで行われていた祭儀はダビデにまでさかのぼる。神によって選ばれたしもべダビデの重要性が示される。
系図に引き続いて、嗣業の地を持たないレビ族の町々が記されている。レビ人たちは嗣業の地を持たないので、彼らの労働によって得る報酬で生活していたのではなかった。神に仕え、民をとりなす働きをする祭司は、ほか11部族がささげる献げものによって経済が支えられていた。主の働き人がその働きによって生活を支えられることは、神によって整えられた制度の中でのあるべき姿である。
2014/5/7 (水) 担当 高谷清師 ?コリ7:1-7賛美 新聖歌 404
パウロは「わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います」と述べる。主イエスが離縁について語られた時それを聞いた弟子たちが「「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」(マタ 19:10)」と言ったのに対し主は「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。(マタ 19:11-12)」と語られた。神は私たち一人一人に賜物を与えてくださっている。私たちは感謝しつつ、自分に与えられている賜物によって歩むことが大切である。
2014/5/8 (木) 担当 ラウジー満世師 歴代誌上7:1-40 賛美 新聖歌340
7章にはイサカル、ベニヤミン、ナフタリ、マナセという4つの部族の系図が記されている。マナセの系図についてはすでに5:23-26においてヨルダン川東部の地と家系の長について述べられていた。ここではその他の子孫について書かれている。ここでは驚くべきことに女性の名が多く記されている。マナセに次いでその兄弟エフライムの系図が記されている。エフライムの家系は一度危機に直面した。エフライムの二人の息子がガトで家畜を奪おうとして殺された。その時エフライムが喪に服した。そして兄弟の慰問を得た後、男の子が与えられた。その子、ベリアの名はこの危機において子が与えられたという赦しと祝福を表している。そしてこの部族からヨシュアが生まれている。
7章においてどの部族よりも目立つのがベニヤミンの系図である。ベニヤミンについてはこの後にも系図が記され、合計3回にわたっている。これは最終的にユダとレビに次いで長い系図となった。ベニヤミンはのちにダビデ家が引き継がれていく南王国の一員となった部族であり、歴代誌においても非常に重要な部族である。国が分裂してからも神に忠実であった部族はここにしっかりと覚えられているのである。
2014/5/9(金) 担当 高谷清師 ?コリ7:8-9 賛美 新聖歌 389
パウロはコリント人からの質問に答える形で結婚について語っているパウロは、この節からは特別なグループの人々に語りかける。最初は未婚者とやもめの人々に対してである。彼らに「皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう」と語る。独身の利点についてパウロは「独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれるかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。(?コリ7:32-34)」と語っている。これは主から賜物をいただいている人々の場合である。そうでない人々は抑制できず、サタンに機会を与えることになる。そのような場合は結婚した方がましである。この場合にも、人は神からいただいた賜物に従って歩むことが最善の道である。
2014/5/10(土) 担当 高谷由紀子師 マルコ14:3-9 賛美 新聖歌337
死から復活された主は弟子たちに会い、ぺトロに対して三度「わたしの羊を飼いなさい」と言われた。ぺトロが主に従っていき、振り向くと、共に主に仕えてきた、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えたので「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。これに対して主は「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」と言われた。
私たちが信仰生活を送っていくとき、周囲のことがいろいろ気になります。あの兄弟はなぜ集会を休むのか、あの姉妹はなぜ奉仕をしないのか・・・。しかし主は「あなたは、わたしに従いなさい。」と言われます。周囲の人々に関係なく自分と主との関係において全身全霊をもって主に従いましょう。
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