2015/4/20-25

2015/4/20 (月) 担当 高谷清師  ?コリ15:1-4  賛美 新聖歌 108
 パウロが語る福音の大切な内容の第二は「葬られたこと」である。これについた主は「つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる(マタ 12:40)」と語っておられる。また、教会は使徒信条において「死にて葬られ」と、主の葬りに言及している。これは当時の異端、グノーシス派の「キリストの肉体は実在したものではなく、仮現的なものであった」と言う主張に抗するためであった。福音の大切な要素として「葬り」が語られたのは主の全き死を示すためであった。キリストの完全な死がなければ私たちの救いはない。今日においても主の全き死を否定する者があるかも知れない。しかし主は私たちの罪のために死に、葬られたのである。

2015/4/21(火) 担当 ラウジー満世師 歴代誌下30: 17-27  賛美 新聖歌396
 祭の最中に問題が起こった。民の多数の者が身を清めていなかったにもかかわらず、いけにえを食べたのである。この時ヒゼキヤはとりなしの祈りをささげた。彼らの起こした問題は律法に違反する行為であった。つまり、直ちに罰せられて命を落としたとしても仕方ない状況であった。それにもかかわらず、神はヒゼキヤの赦しを求める祈りを聞かれた。民は癒されたのである。ここで「律法至上主義」が乗り越えられている。不注意にも定められた方法に反して祭を行ってしまった人々の行為を拒否するのではなく、その喜び祝う心を主は受け止めてくださった。
 決して形式を守り、正しい秩序ある礼拝をすることを否定するものではない。しかし、神が人とかかわられる方法は冷たい形式主義ではなく、神を喜び祝う人々を恵みによって赦し、交わりを持つことを優先するものである。神を慕い求めて歩むことの大切さを今一度考えたい。

2015/4/22(水) 担当 高谷清師 ?コリ15:3−4  賛美 聖歌 273
 パウロが語る福音の大切な内容の第二は「聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」である。ホセアは「二日の後、主は我々を生かし三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる(ホセ 6:2)」と預言している。またダビデは「あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず、命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます(詩 16:10-11)」と詩っている。実に、キリストの復活は私たちの永遠の命であり喜びであり希望である。

2015/4/23(木) 担当 ラウジー満世師 歴代誌下31:1-21  賛美 新聖歌179  
 ヒゼキヤの時代に過ぎ越しの祭が回復され、大きな喜びがあったが、改革はなおも続けられた。ヒゼキヤの時代にはさらにユダの町々で偶像が破壊された。この改革について注目すべきことは、ヒゼキヤ王自身が偶像を破壊したのではなく、すべてのイスラエル人がこれを行ったということである(31:1)。国が分裂する以前のように、北王国の民も含めて、人々が一つとなって神に仕え続けているのである。なぜこのようなことが可能であったのか。31章において詳細にヒゼキヤの改革について記され、その最後に伝えられているのは、ヒゼキヤが律法と戒めを守り、心を尽くして求めた結果、祭儀の回復を成し遂げたということである。
 神の御心を行おうと私たちも努力し、さまざまな備えをする。その際に最も大切なことは、心を尽くすこと、主を愛して行うことである。

2015/4/24(金) 担当 高谷清師  ?コリ15:3−4  賛美 新聖歌 126
 この箇所において、キリストの死と復活についてカルヴァンは次のように述べている。「罪がキリストの死によってほろぼされたように、キリストの復活によって義がかちとられたのである。ところで、わたしたちは、キリストの死のうちに求めるべきことと、復活のうちに求めるべきこととがそれぞれどのようなことであるかを知るために、この区別に十分注意しなければならない。さらに、聖書の他の個所において、ただ死のことだけが述べられている場合でも、死の中には復活が含まれていることを知らなければならない。けれども、 (今ここでわたしたちの見るように)、死と復活がはっきり区別して挙げられているような場合には、すでに死の中にわたしたちの救いがはじまり、復活によってそれが完成するのである。(カルヴァン新約聖書注解?コリント前書P343新教出版社)」。またパウロは「わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。(フィリ 3:9-11)」と語っている。私たちの救いはキリストの復活によって完成されるのである。ここに復活を信じる信仰の重要性がある。

2015/4/25(土) 担当 高谷由紀子師 1テサロニケ 3:12-13  新聖歌369
 この言葉はパウロがテサロニケ教会の人々のために神様に祈った祈りです。まず心の弱い人が強い心の人になるようにと願いました。人の心は変わりやすく、誘惑に負けやすいものです。正しいことがいつもできる心の強い人になるように願いました。そして人に対して憎しみや悪意を持たない、純真な清く美しい心の持ち主になることを求めました。これらのことはすべて神様の御前にあって聖霊の助けによって得られるものです。クリスチャンの品性は祈りによって実を結ぶことができるものです。”,,1261″