2016/11/14-19

2016/11/14(月) 担当 高谷清師  ヨハネ 20:30-31  賛美 新聖歌 201
 2015/7から読み続けてきたぺトロの手紙?を先週読み終えた。今週からはヨハネによる福音書を共に読み進め、主の恵みをいただきたいと思う。初回に福音書の終わりの部分が開かれ、奇異に思われるかも知れないが、この部分には著者が本書を著した目的が記されている。R・V・G・タスカー師は『著者は、イエスが弟子たちの前で行われたしるしの一部を選んで記した。それは、それを読む者が、「イエスが神の子キリストである」という信仰を確かなものとするよう励まされ、また、信じることによって、神の力によって与えられる、より豊かな、永遠のいのちを経験できるようになるためである。(ティンデル聖書注解ヨハネの福音書P127−128いのちのことば社2006/2)』と述べておられる。私たちも「イエスは神の子メシアであると」信じ、信仰が強められ、信じてイエスの名により命を受けるために本書を読み進めたいと思う。

2016/11/15(火) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書54:1-10 賛美 新聖歌265
 神が力強く宣言される。族長時代から神の約束と祝福は不妊によって脅かされてきた。不妊に苦しんだ多くの女性たちは「子孫を増やす」という約束の危機に直面した。ここでは不妊によって神の約束の危機にあるイスラエルに対して、神がその危機を克服すると言われている(3節)。さらにかつて屈辱を受けたイスラエルに対してそれを忘れよと言われる。イスラエルが受けた苦しみは神が彼らを捨てたからであった(7節)。神が見捨てられたのであれば人間は自力で回復することができない。ただ神が心を変えて再びイスラエルを回復されることによってしか救われることはない。神が望みであるイスラエルに対して神はかつてのあの洪水の時に誓ったように決して再びイスラエルを滅ぼすことはないといわれる。
 人はいつも罪を犯して神に背いている。神は人の罪を罰せられる。しかし、神は憐れみをもって救ってくださる。私たちの救いもただ神の憐れみによって与えられた。主に感謝。

2016/11/16(水) 担当 高谷清師  ヨハネ 1:1-5  賛美 新聖歌 139
 ヨハネは「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」と述べる。「言」とはイエスキリストを指す。私たちが存在を始めるのは母の胎に宿った時からである。しかし、私たちの主、イエス・キリストは初めから永遠の存在されたお方である。そして主は神と共にあられたお方である。即ち、私たちの主は神と共にあられたお方であり、父なる神とは別の位格を待たれるお方であり、神ご自身である。それ故主は十字架を前にして「父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。」(ヨハ 17:5)とお祈りになったのである。

2016/11/17(木) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書54:11-17 賛美 新聖歌396
 神に背いて捨てられて苦しんだイスラエルに対して、神は回復された都、エルサレムへの帰還の希望を語られる。神によって再建される都は美しく、壮大である。神に捨てられて苦しんだイスラエルは(54:8)自分の力では虐げる者から逃れることも、過去の繁栄を取り戻すこともできない。国家再建の希望の潰えたイスラエルに対して、神はその武器を打ち直す職人でさえ神の支配の中にあり、イスラエルを打ち砕くすべての敵は神の支配の下にあり、神の罪の裁きから逃れることはできないと言われる。善は神から出て、悪や苦難はサタンから出ると私たちは考えたい。しかし私たちの罪が極限に達し、それでも神の警告に従って立ち返らないならば、神は私たちを苦難にあわせて、神に従順であることが私たちの責任であると思い起こさせてくださる。それは神との関係の回復に必要なステップである。
 日々心を神に向け、主の御心に従順に歩むものとなろう。

2016/11/18(金) 担当 高谷清師  詩編27: 13-14  賛美 新聖歌 281
 ダビデは、陥れようとする者・貪欲な敵・偽りの証人・不法を言い広める者たちが彼に逆らって立ち、四面楚歌の中にあった時、「あなたの道を示し、平らな道に導いてください」と祈った。そして祈りの中で答えを得「わたしは信じます、命あるものの地で主の恵みを見ることを」と信仰を言い表す。A. ヴァイザーは『信仰とは、信仰者をして現在の苦難と未来におけるその解決との間に横たわる緊張をになうことを可能ならしめる力である。作者が祈りにおいて神から与えられるのは、見ずしてしかも確信のうちに生きる信仰なのである。』と述べている。(ATD旧約聖書註解詩篇上P325)。主イエスは「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハ 16:33)と教えておられる。私たち、サタンの支配する世を生きるキリスト者の歩みには苦難が伴うことを知っている。そして私たちの未来には御国が約束されていることを知っている。御国を目指す歩みの、今日の苦難を乗り越える力は主を待ち望む信仰である。主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。

2016/11/19(土) 担当 高谷由紀子師 ルカ 18:35-43  新聖歌 196
 盲人は目が見えるようになることを願ってイエスに熱心に叫び求めました。先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けました。その叫びはイエス様に届き、イエス様はその盲人をそばに連れて来るように命じられました。近づいてきた盲人にイエスが「何をしてほしいのか。」お尋ねになると盲人は「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言うと主は「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」と言われました。すると盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従いました。信仰にもとづく率直で熱心な求めは主に届くのです。私たちも信仰による熱心な祈りをもって信仰生活を送りましょう。”,,899″