2021/3/8-13

 2021/3/8(月) 担当 高谷清師 コロ 1:3-8 賛美 新聖歌 425

 パウロは「それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくもの」と語っている。この「希望」についてハンス・コンツェルマンは「ここでは信ずる者が自分の中に感知する希望ではなくて、すでに天に備えられている救いの事実を、信徒は仰ぎ望むことが許されているということである。今やこの彼岸の世界は、そこから此岸の闇の中にただシグナルの光を健かせるだけのものと考えられているのではない。人は福音において希望を学ぶのだが、その福音は至福の彼岸を指し示す以上のものであって、それは生きて働く力である。」(NTD新約聖書註解8 パウロ小書簡345 NTD新約聖書註解刊行会1975)と述べている。キリスト者に与えられている希望は御子によって成就された贖いの御業によるものであり、信じる者に与えられ、聖霊によって、命として私たちの内に日々働いているのである。

 コロナ禍の中で多くの人々が希望を失い、死に追いやられている痛ましい事実が報じられている。真実の希望は福音以外にはない。み言葉を伝えよう。

 

2021/3/9(火) 担当 ラウジー満世師 ナホム書3:18-19  賛美 新聖歌429

 最後まで厳しい口調でアッシリアに対する裁きと滅びの預言が語られる。この国が勢力を拡大し、当時の世界を支配し、瞬く間に衰退して滅ぼされるまで、彼らは真の神を全く認めることなく、悔い改めることもなかった。そして滅ぼされた彼らに救いの光は与えられなかった。しかし同時にこの厳しい預言は死を悼む歌という形で語られている。最後まで悔い改めることのない罪びとは救いを受けることはできなかったが、そのような国も神にとってはその滅びが悲しみとされている。罪を悔い改めることなく滅びていく者たちはその悔い改めを拒む心のゆえに滅びに至ったのであって、彼らが神から愛されていなかったから滅びたのではない。

 神はあらゆる時代の人々を愛し、救いに導かれることを望んでおられる。今の時代にも罪の中に滅びゆく人々の姿を悲しんでおられる神の御心を覚えつつ、先に救われた人々が心を閉ざす人々に神の愛を伝え続け、罪の悔い改めを語り続けよう。

 

2021/3/10(水) 担当 高谷清師 コロ 1:3-8 賛美 新聖歌 341

 パウロは「あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました」と語る。この「福音という真理の言葉」について加藤常昭師は「今回与えられているテキストにおいて最も多くの言葉を費やしてパウロが語るのは、「福音という真理の言葉」についてである。そして正直なことを言えば、説教をしようとしてこのテキストを読み始めたときに、ひとりの説教者として私が最もこころを動かされているのは、この福音の言葉を語るパウロの言葉によってである。すぐに私が思い起こしたのは、テサロニケの信徒への手紙一213のパウロの言葉である。「このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです」。(中略)コロサイ書では、説教者の仲間であるエパフラスの働きを語る。エパフラスも、神の言葉として聴かれるべき人間の言葉、福音の真理の言葉を語ったのである。

エパフラスをパウロは「わたしたちと共に仕えている仲間」と呼ぶ。「わたしたちの愛する奴隷仲間」というのが原文である。言うまでもなく主キリスト・イエスに仕える奴隷の同志なのである。福音を語ることを同じ務めとする仲間なのである。(説教黙想アレテイア エフェソの信徒への手紙・フィリピの信徒代の手紙・コロザイの信徒への手紙・フィレモンへの手紙P211-212日本基督教団出版局2012)と述べておられる。

 今日、神に召され、福音を語ることを務めとする者は神の言葉を語らねばならない。神の言葉として聴かれるべき人間の言葉を語る任に召された者には大いなる恐れが伴う。そのような任にある者の為にお祈りをお願いします。

 

2020/3/11(木)担当 ラウジー満世師 ハバクク書1:1  賛美 新聖歌366

 これからハバクク書を読んでいく。ハバククが神に示された幻も、他の預言書同様に正確にいつの時代に語られたのかを確定するのは非常に難しい。しかしその内容を読めば、ユダの民が納得しがたい不条理な苦しみの中でもがきながら、神の答えを求めていることがわかる。この書ではカルデア人に言及しており(1:6)、先のナホム書のようにニネベやアッシリアに対する記述はない。それらのことから恐らく南王国ユダの首都エルサレムが陥落する少し前の時代に語られた預言であろう。その時代、パレスチナ地方は北のバビロンと南のエジプトという大国の力に翻弄されながら、風見鶏のように時を見分けてより力のある支配者につきながらなんとか対面を保っていた。時代の波に翻弄されながら真の神に頼る者たちは、正義を叫んでも聞き入れられず、神の力を探し求めていた。

 ハバクク書に見られる「いつまでですか、なぜ私の叫びに耳を傾けて下さらないのですか」という叫びとそこから見出す答えを読みながら、今の私たちの信仰の歩みをも確認していきたい。主に期待しつつこの書を読み始めよう。

 

2021/3/12(金) 担当 高谷清師 詩60:8-10    賛美 聖歌 265

 戦いにおいてイスラエルは自らの目論見に反して頽廃した。民は、背後に神の怒りがあることを悟り、「あなたの愛する人々が助け出されるように/右の御手でお救いください。それを我らへの答えとしてください」と祈る。その祈りに対する神の答えが記されている。この箇所について鍋谷尭爾師は「5節の助けを求める祈りに答えて、イスラエル全土も、イスラエルの敵であるモアブ、エドム、ペリシテもすべて、神の支配下にあることを聖所から宣言されます。(中略)敗北の中で、ダビデも、ダビデにつぐ王たちや、イスラエルもこの真理を学ぶべきでした。当たり前の真理も、敗北の屈辱と涙と神の前の悔い改めを通してたましいに刻みつけられています。

戦いの敗北や勝利はすべて神の御手のうちにあります。大切なことは、どのような逆境においても主にのみ信頼して信仰の戦いを戦い続けることです。」(『詩篇を味わう?』P171いのちのことば社 2006)と述べておられる。

 神の選びの民であるイスラエルはしばしば罪を犯し、神に反逆し、そのたびに神から懲らしめを受けた。しかし神は彼らを全く捨てることは決してなさらなかった。私たちの信仰の歩みにおいても予期せぬ逆境に遭遇し、戸惑うことがあるであろう。しかし、どのような時にも神に信頼し信仰の戦いを戦い抜こう。

 

2021/3/13(土) 担当 高谷清師 コロ 1:3-8 賛美 新聖歌 434

 パウロは「この福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています」と語る。イエスは「ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」(マタ 13: 8)と語り、更に「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」(マタ13: 23)と語っておられる。福音を聞き、真に悟り、信仰を与えられた者は、福音を証しし、豊かな実を結んでいくのである。実り豊かなキリスト者となろう。