2021/3/15-20

 2021/3/815月) 担当 高谷清師 コロ 1:3-8 賛美 新聖歌 408

 「あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。」と語ったパウロは「また、“霊”に基づくあなたがたの愛を知らせてくれた人です。」と語っている。また、ガラテヤの信徒への手紙においてパウロは「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」(ガラ 5:22-23)と述べて「愛」こそ御霊の結ぶ実の第一のものであるとしている。パウロはコロサイの聖徒たちの成長を「“霊”に基づく愛」において見たのである。世には「愛」という言葉があふれている。しかし“霊”に基づく愛」は、キリストによってのみ現わされ、聖霊によってだけ、私たちの内に結ばれるものである。深い聖霊との交わりに生きよう。

 

2021/3/16(火) 担当 ラウジー満世師 ハバクク書1:2-4  賛美 新聖歌338

 「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに/いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。」に始まるこの個所には共感できる、理解できるという人が多いのではないだろうか。信仰者として歩んできた経験から、神様を信じたからと言ってすべてが瞬時にうまくいくというわけではないことを私たちは知っている。忍耐して祈り続けなければならないことも分かってはいるが、時には神に向かって早く聞いてくださいと催促したくなることもある。ここでハバククもいつまでですかと問うている。しかしハバククは神が祈りを聞いてくださるということについては疑うことはない。

 祈りがなかなか聞かれず、苦しい状況が続き、正義すらも通らないことがある。しかし、神が永遠にこの祈りを聞いてくださらないのではと疑うことなく、神の時に解決を与えて下さることを信じて、助けを叫び求め続けよう。

 

2021/3/17(水) 担当 高谷清師 コロ 1:9-12 賛美 新聖歌 154

 パウロは「こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。」と述べる。パウロはエパフラスからコロサイの聖徒たちのキリスト・イエスに結ぼれている信仰」と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について聞いて以来、コロサイの人々のために祈っている。

先日、東日本大震災発生から10年の日の番組において、神戸のあるグループの人々が東北の被災者に宛てて手紙を送り続けている活動が紹介された。両者の間に面識はなく、互いに名も知らない、手紙書いた人は、それが誰の手に渡るかも知らない。しかし、長年にわたる活動の中で、互いに見知らない人々の間に親密感が生まれ、互いに励まされ力づけられる交流が生まれていることが報じられた。まして、キリスト者は御子イエスの贖いの恵みによって救われ、キリストに在って兄弟姉妹とされた者である。従って、互いに名も知らない兄弟姉妹であるとしても、祈り合うことは“霊”に基づく愛を育み、愛に満ちた、キリストの体なる教会を形作る大きな力となる。コロナ禍の今日、互いの祈りはその重要性を更に増している。

 

2021/3/18(木)担当 ラウジー満世師 ハバクク書1:5-11  賛美 新聖歌427

 2節から4節に対する神の答えが示される。神がカルデア人を起こされるという。この民は驚くべき速さで戦いに臨み、圧倒的な強さで敵を打ち倒す。カルデア人に太刀打ちできる国々は存在しない。かつてない強さを誇るこの国が目の前に現れて、民はただただ驚いた。神の答えによると、この信じがたい速さと力をもって行動するこの民を起こされたのは神ご自身であるという。人間の目から見れば、次から次へと強大な国が立ち現われ、神の民は歴史のうねりに翻弄される力なき存在であり、神の答えもいつ来るか分からないような状況である。にもかかわらず、この民の背後には全地の主である神がおられるという。

 歴史において起こる一つ一つのことの背後に神はおられる。たとえ神を信じない者たちが力をもって立ち現れるとしても、実際にその背後には神の御心がなされ、神の支配があるのだという事実を常に覚えておきたい。私たちの主は常に働き、すべてを支配して導いておられるお方である。

 

2021/3/19(金) 担当 高谷清師 詩60:11-12  賛美 新聖歌 135

 目論見に反して戦いに大敗したイスラエルは、自らが神の怒りを招き、神に突き放されたためであることを悟り、祈った。その祈りに対して素晴らしい勝利を約束の答えを得た。それは民に安堵をもたらすものであった。しかし、神の答えの中にはその勝利に至る具体的な道は語られていない。そこで詩人は「包囲された町に/誰がわたしを導いてくれるのか。エドムに、誰がわたしを先導してくれるのか。」と問う。この節についてA. ヴァイザーは「たしかにすべての霧が一挙に消えたわけではない。責任を持つ軍指令官は、まったく危うい自分の状況を現実政策の立場からあれこれ考えると、心に浮かぶ疑いを抑えてしまうわけにはいかない。彼の問いの中には、人間的な考えによる疑いと、神の言葉を進んで信じようとする心とが格闘している。」(『ATD旧約聖書註解詩篇中P127ATDNTD聖書註解刊行会1985)と述べている。詩人は改めて「神よ、あなたは我らを突き放されたのか。神よ、あなたは/我らと共に出陣してくださらないのか。」と祈る。

 私たちが日々の信仰の歩みにおいて遭遇する問題に対して「その答えは聖書の内にある。聖書に聴きなさい。」と言われる。しかし聖書は問題解決への道筋を示すことはまれである。それは祈りの内に聖霊により、教会におけるみ言葉の解き明かしによって明らかにされる。祈りと集会を尊ぼう。

 

2021/3/20(土) 担当 高谷清師 コロ  1:9-12 賛美 新聖歌 201

 コロサイの聖徒たちに対するパウロの祈りは第一に「神の御心を十分悟り、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。」であり、第二には「神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。」第三には「喜びをもって、光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。」である。それらすべては「“霊”によるあらゆる知恵と理解によって」もたらされる。パウロは本書簡23節には「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。」と記している。神を知る知恵と知識は人間の内には無く、神の言の内に、キリストの内にのみ存在する。神を排除した哲学的思索の中からは神を知る知恵と知識は生じない。永遠の命は神を抜きにしては存在しないのである。