2021/4/26-5/1
- 2021.04.26
- ディボーションの友
2021/4/26(月) 担当 高谷清師 コロ 1:15-20 賛美 聖歌 236
続いてパウロは「御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。」と語る。コリントの信徒への手紙?においてパウロは「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。ただ、一人一人にそれぞれ順序があります。最初にキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属している人たち、次いで、世の終わりが来ます。そのとき、キリストはすべての支配、すべての権威や勢力を滅ぼし、父である神に国を引き渡されます。キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。「神は、すべてをその足の下に服従させた」からです。すべてが服従させられたと言われるとき、すべてをキリストに服従させた方自身が、それに含まれていないことは、明らかです。」(?コリ15:20-27)と述べている。
御子は死者の中から最初に復活されたお方であり、御子を信じて眠りについた人たちの初穂となられた。死者の中から復活されたキリストこそ、信仰者の唯一の希望である。
2021/4/27(火) 担当 ラウジー満世師 ハバクク書3:1-2 賛美 新聖歌166
1章、2章でみられたように、ハバククの時代の人々は強大な敵に直面していた。そのような状況においてどうしたら確信をもって主の救いを待ち望むことができるだろうか。3:2では主の名声を聴き、御業を畏れると語る。すなわち古い時代から親から子へと語り継がれ、教えられてきた神の力強い御業を思い起こすのである。かつて苦しみの中から民を導き出し、救い出した主を思い起こす。そして、このことをなしてくださった神に、今この苦しみの現実の中で数年のうちに過去の御業を再び生き返らせ、御力を示してくださいと願い求める。
目の前の苦しみと困難だけに心を奪われていると、神が力ある方だということを実体験として思い起こせなくなる。そうなると私たちは神を信頼する土台を失う。だからこそ、過去に示された神の御力を思い起こし、望みをそこに置いて助けを求めることが必要である。私たちに示された神の救いの御業を思い起こし、書き留め、日々感謝しよう。この御業をなしてくださる神が今生きて働き、助けて下さることを知ろう。
2021/4/28(水) 担当 高谷清師 コロ 1:19-20 賛美 新聖歌 89
パウロは「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、」と語る。ヨハネは「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハ1:14―18)と述べている。イエスは「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うフィリポに対して「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。」(ヨハ14:9)と答えておられる。
父なる神の栄光は御子イエスに宿り、御子イエスにおいて神を見るのである。
2021/4/29(木)担当 ラウジー満世師 ハバクク書3:3-4 賛美 新聖歌341
「神が来られる」ことの圧倒的な力を感じる。栄光の主は南から来られる。申命記33:2にも主はパランの山から来られると述べられている。かつて民が主の顕現を体験したように、主は敵に苦しむ民のところに顕れて下さる。主は威光に満ち、輝いておられる。かつて主の臨在を体験したモーセやイザヤがそうであったように、ハバククは主の御顔を見ることはない。しかし圧倒的な威光の輝きが語られている。現実的に民が苦しみの中に無力な立場に置かれているときにも、過去に偉大な力と栄光をあらわされた神は変わることなくご自分の民の中に自らを示される。圧倒的な神の力は、強大な敵によっても決してくじかれることはないのである。
イスラエルの民が苦しみの中にあった時に、変わることなく力を持つお方、イスラエルを守る方としてご自分を示された神は、今私たちと共におられる。喜びの時にも苦しみの時にも、この変わらぬ威光と力を纏った神がおられることを覚えて主に信頼を置こう。
2021/4/30(金) 担当 高谷清師 詩 61:7-8 賛美 新聖歌 194
詩人は「王の日々になお日々を加え/その年月を代々に永らえさせてください。王が神の前にあってとこしえの王座につき/慈しみとまことに守られますように。」と祈っている。の箇所についてA. ヴァイザーは「王は宗教的な法秩序を維持し遂行する保証人である。この詩の作者は公正な統治が長く続くことを願うが、それは神の民の表面的な関心事にとどまるものではない。王が救いの恵みと真実にあずかる時、民全体は王と共に神の保護と救いを受ける。」(『ATD旧約聖書註解』13詩篇中P131ATD・NTD聖書註解刊行会1985)と述べている。パウロは「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。従って、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招くでしょう。権威者は、あなたに善を行わせるために、神に仕える者なのです。しかし、もし悪を行えば、恐れなければなりません。権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく、神に仕える者として、悪を行う者に怒りをもって報いるのです。」(ロマ 13:1―4)と語っている。上に立つ権威のために祈り続けよう。
2021/5/1(土) 担当 高谷清師 コロ 1:15-20 賛美 新聖歌 359
パウロは「その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。」と語る。19節の新共同訳が「満ちあふれるものを余すところなく」と訳しているところをハンス・コンツェルマンは「全き神性の充満」(NTD新約聖書註解8 パウロ小書簡P350 NTD新約聖書註解刊行会1975)と訳している。父なる神は全き神であられる御子に全き人性を取らせ、即ち御子を全き神であり、全き人として世に遣わし、このお方に人間の全ての罪を負わせ、十字架に架け、その血によって地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物を御自分と和解させ、平和を打ち立ててくださったのである。この十字架の出来事は人間の思索の産物、人間の言い伝えにすぎない哲学、むなしいだましごとではなく、私たちの歴史において起こった明確な出来事である。十字架においてのみ、神と和解させていただくことが出来、神との平和を得ることが出来るのである。すなわち、御子イエスだけが唯一の救い主である。
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