≪デボーションの友≫2022/6/27-7/2

2022/6/27(月) 担当 高谷清師 ガラ 2:15-21 聖歌(総)205  聖歌 236

 ケファは、人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、ただイエス・キリストの真実によるのだということを知って、キリスト・イエスを信じた。そして、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていました。しかし、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしました。これに対してパウロは「あなたは自分がユダヤ人でありながら、ユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のようになることを強いるのですか。」とぺトロを非難しました。それは律法の成就を救いに不可欠の条件として再度持ち出す行為に通ずるものであったからである。それは律法に依り頼まずしてキリストに依り頼むところの人々を、キリスト御自身が罪人に仕立ててしまうことである。律法の行いではなく、ひたすらキリストにのみ依り頼む徹底的信頼が人を罪人とするのではない。ヘルマン・ウォルフガング・バイヤーは「キリストと律法のふたまたを掛けて右往左往する中途半端な生き方こそ、恐ろしいのである。(NTD新約聖書註解8 パウロ小書簡P50TD新約聖書註解刊行会1979))と言っている。ただ、信仰に生きよう。

2022/6/28(火) 担当 ラウジー満世師 創世記7:1-9 賛美 聖歌(総)494 聖歌477

 いよいよ神が定められた洪水が近づいている。主は正しいと認められたノアとその家族に箱舟に入るように命じられた。地上の動物の清いものも清くないものもすべて含めてつがいで箱舟に入れられた。このために七日の期間を与えられ、七日間で神が命じられたとおりに地上のすべての動物がやってきて箱舟の中に入り、最後にノアとその家族が箱舟に入ると、箱舟は閉じられて地上に洪水が起こった。

 神は人々の間に悪が満ちる状況を見て滅ぼそうと考えられた。ただ一人の正しい人、ノアのゆえにその家族を残し、また地上のあらゆる動物も命をつなぐためのつがいを守られた。神は地上に悪がはびこり、人の心が悪に満たされるのを見て人を造ったことを悔い、後悔された(6:5-6)が、正しい一人の人のゆえに命を守るよう決定し、その通りに行われた。神がノアを通して望まれたのは被造物が正しく歩むことであった。神の憐れみのゆえに私たちは生かされている。そのことを覚えつつ、正しい生き方を常に求め、そのように生きたい。

2022/6/29(水) 担当 高谷清師 ガラ 2:15-21 聖歌(総)476  聖歌463

 パウロは「もし自分で打ち壊したものを再び建てるとすれば、私は自分が違反者であると証明することになります。」と語る。ヤコブのもとから下って来たユダヤ人キリスト者を恐れて、一旦、キリストを信じる信仰によって律法からの自由を得たキリスト者が再び律法の奴隷となろうとする行為は、ユダヤ人と異邦人とを隔てる中垣を再び築く行為である。

 異邦人たる日本に住む私たちも六曜、十二支等々・・・・・、様々な束縛の中に生きてきた。しかし、恵みによってキリスト。イエスを信じる信仰に導かれ、救いに入れられた今、私たちはそれらすべての束縛と制約から解放された。再び、それらのとりこにならないよう、しっかり信仰に立って歩もう。勿論、99%の信仰無き人々と共に生きる日本社会に在ってそれらを無視することはできない。彼らの心を福音に対して閉ざさせないためにも配慮は必要である。しかし、自らがそれらに捕らわれることの無いよう、しっかりと自由の福音に立って歩もう。

2022/6/30(木)担当 ラウジー満世師 創世記7:10-24 賛美 聖歌(総)519 聖歌501

 神のご計画通りに洪水が始まる。深淵の源が裂け、天の窓が開かれて水が入り、地をすべて覆う。神が世界を創造されたときに混沌の中に秩序をもたらし、創造されたが、それすべて覆されていくようである。神が滅ぼすと定められた悪に満ちた世界が大変な勢いで呑み込まれていく。しかし、神は保護すると定められた人々と動物のつがいを確かに箱舟に入れた後、ご自身で戸を閉じ、確実にこれらのものを守られた。箱舟の外に居た者たちはすべて死んだと記されているとおり、神の決定の確かさと罪に対する毅然とした対応が明確にされている。そして同時に罪がはびこる中でも正しく歩むものをしっかりと見出し、そこから再出発を与えて下さり、正しく歩むチャンスを与えて下さる神の憐れみを知る。

 憐れみ深い主がおられる。この方は正しく歩む者がたとえ一握りであってもしっかりと見極めて下さる。人の目に正しさが価値を持たない時代であっても主の前に生き続けよう。

2022/7/1(金) 担当 高谷清師 詩 68:25-28 賛美 聖歌(総)33 聖歌91

 この箇所には神が王としてエルサレムに入場される姿が描かれている。歌い手を先頭に、奏楽者―その中にタンバリンを鳴らすおとめたちがいる。そして詩人はイスラエルの会衆に神への讃美を呼びかける。

 主イエスは十字架を前に子ロバに乗ってエルサレムに入城された。「多くの人が自分の上着を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。/「ホサナ。/主の名によって来られる方に/祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に/祝福があるように。/いと高き所にホサナ。」(マルコ11:8-10)とか歓呼の声を上げて迎え入れた。主イエスはご自身が再び地上においでになることについて「それらの日には、このような苦難の後/太陽は暗くなり/月は光を放たず、星は天から落ち/天の諸力は揺り動かされる。その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。その時、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者を四方から呼び集める。」と語っておられる。再び来られる主を力の限りの喜びを持って迎えることが出来るよう、きょうを忠実に歩もう。

2022/7/2(土) 担当 高谷清師 マタ 6:11 賛美 聖歌(総)230 聖歌254  主が弟子たちに教えられた祈りの第四は「私たちに日ごとの糧を今日お与えください。」であった。ヨハネが「言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハ 1:14)と記しているように、神の御子、神ご自身であられたお方が肉をとって私たちの世に来てくださった。肉をとって地上を歩まれたお方は飢え、渇き、暑さ、寒さ、病・・・・・肉なる者のあらゆる苦難をつぶさに見、体験してくださった。そしてヘブライ人への手紙は「キリストは、人として生きておられたとき、深く嘆き、涙を流しながら、自分を死から救うことのできる方に、祈りと願いとを献げ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。」(ヘブ5:7)と記している。このお方が「私たちに日ごとの糧を今日お与えください。」と教えておられるのである。心の問題、精神的な事柄のみならず、肉の必要についても祈り求めるよう、教えられているのである。あらゆる必要を信仰をもって祈り求めて行こう。