≪デボーションの友≫2022/7/4-9
- 2022.07.03
- ディボーションの友
2022/7/4(月) 担当 高谷清師 ガラ 2:15-21 聖歌(総)434 聖歌 432
パウロは「私は神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。」と述べる。ローマの信徒への手紙においてパウロは「それと同じように、きょうだいたち、あなたがたも、キリストの体によって、律法に対して死んだのです。それは、あなたがたがほかの方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、私たちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。私たちが肉にあったときは、律法による罪の欲情が五体の内に働き、死に至る実を結んでいました。しかし今は、私たちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されました。その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えるようになったのです。」(ロマ 7:4-6)と記している。更に「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにあずかる洗礼(バプテスマ)を受けた私たちは皆、キリストの死にあずかる洗礼(バプテスマ)を受けたのです。私たちは、洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きるためです。私たちがキリストの死と同じ状態になったとすれば、復活についても同じ状態になるでしょう。私たちの内の古い人がキリストと共に十字架につけられたのは、罪の体が無力にされて、私たちがもはや罪の奴隷にならないためであるということを、私たちは知っています。」(ロマ 6:3-6)と記している。イエスを信じる信仰によって罪から解放されていることを感謝しょう。
2022/7/5(火) 担当 ラウジー満世師 創世記8:1-13 賛美 聖歌(総)469 聖歌456
ノアとその家族、そして動物たちが箱舟に入ってから四十日四十夜雨は降り続いた。今まで罪を犯し続けたうえに神の警告に耳を貸さなかった箱舟の外に居る人々はなすすべもなく大水に呑み込まれていった。神が定められた通り、地上に残された人々と動物たちは命を失った。これほど徹底的にすべてを滅ぼす神のさばきの厳しさを前に、私たちは驚き、神が主権者であるということを思い起こす。しかし同時に8:1に記されているとおり、神はご自身の目に適い、正しさを認めて箱舟に入れられたものたちについて、人間から動物に至るまで一つとして忘れ去られることはなかった。
悪が横行する社会において、私たちは正義を守り、行うことが無意味だ、あるいは損をするとさえも感じて意気消沈することがあるだろう。しかし誰一人正しい生き方を認めないときにも神は決して忘れることはなく、正しい者たちを守られる。神が今日も私たちを見て、覚えて下さっている。感謝しつつ歩もう。
2022/7/06(水) 担当 高谷清師 ガラ 2:15-21 聖歌(総)476 聖歌463
パウロは「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」と語る。ローマの信徒への手紙においてパウロは「キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きている者だと考えなさい。」(ロマ 6:10-11)と述べている。この箇所についてヘルマン・ウォルフガング・バイヤーは
「律法のもとから解放された自由とは、神のもとから解放されて自由になることではなく、逆になんのこだわりもほだしもなく神のために生き、また死にうる自由を意味する。律法に束縛された生活は、心からの自由と喜びをもって神のために生きる人生ではない―これは、ユダヤ人たる者の耳に、なんと痛いことばであろうか―パウロは律法に対して死んでしまった。律法のほだしのもとにあった彼の古き自己は、もはや全く生きていないからである。その古き自己の死と引き換えにキリストが立ち出でたもうた。いま使徒パウロのうちにあって生きたもう者は彼、キリストである。」(NTD新約聖書註解8 パウロ小書簡P52 NTD新約聖書註解刊行会1979)
と記している。律法から解放され、自由とされた私たちは唯、神のために生きるのである。
2022/7/7(木)担当 ラウジー満世師 創世記8:14-23 賛美 聖歌(総)504 聖歌486
雨がやみ、水がひいたのち、ついに箱舟の中の者たちは外に出ることが出来た。数か月ぶりに地面に降り立った者たちは心から喜び、また以前とは違う様子の世界で新しい出発が与えられたことを感じ取っていただろう。今度こそ整えられた環境において何を中心に据えて生活を再建していくだろうか。私たちが新生活を始める時には将来を思い描いて様々な願いを考えて環境を整えるために様々な作業を進めるだろう。ノアとその家族にも新たな出発が与えられた時、ノアは最初に祭壇を築いて焼き尽くすいけにえをささげた。神のもとに立ち上った香りのそなえものを神は受け入れて下さり、二度と人のゆえに地を呪うことはしないと約束してくださった。
再出発は神への礼拝から始まる。決して自分たちの都合を優先するのでもなく、自分の快適さを第一とするのでもない。つまり、神によって造られて生かされている者たちは神との関係を第一とし、自分と神との関係に基づいて人々との関係を築き、生きるのである。決してこの優先順位を間違えないよう、主を第一にしよう。
2022/7/8(金) 担当 高谷清師 詩 68:29-32 賛美 聖歌(総)534 聖歌516
詩人は「神は命じられる/あなたが力をさらに増すように、と。/神よ、あなたは私たちのために働いてくださる。あなたの宮からエルサレムへと/王たちはあなたのもとに贈り物を携えて来ます。叱咤してください、水草の茂みに住む獣を/もろもろの民の子牛の中にいる猛牛の一群を/銀の品々を踏みにじるものを。/闘いを望むもろもろの民を散らしてください。エジプトから青銅の品々が到来し/クシュは神に向かって手を伸べる。」と詠う。黙示録は「第七の天使がラッパを吹いた。すると、さまざまな大きな声が天に起こって、こう言った。/「この世の国は、私たちの主と/そのメシアのものとなった。/主は世々限りなく支配される。」諸国の民は怒り狂い/あなたも怒りを現されました。/死者の裁かれる時が来ました。/あなたの僕である預言者、聖なる者/あなたの名を畏れる者には/小さな者にも大きな者にも/報いが与えられ/地を滅ぼす者たちが/滅ぼされる時が来ました。」(黙11:15・18)と述べている。更に「諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて都に来る。」(黙 21:24)と述べている。約束されている勝利を望みつつ、信仰の戦いを戦い抜こう。
2022/7/9(土) 担当 高谷清師 マタ 6:11 賛美 聖歌(総)250 聖歌273
イエスは「私たちに日ごとの糧を今日お与えください。」と祈るように教えられたのである。このように祈るように教えられるお方は、その祈りに応えることのおできになるお方である。本章26- 27節においては「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また体のことで何を着ようかと思い煩うな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。まして、あなたがたは、鳥よりも優れた者ではないか。」と語り、「だから、明日のことを思い煩ってはならない。明日のことは明日自らが思い煩う。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(6:34)と教えておられる。 日本においては1973年10月に中東の産油国が原油価格を70%引き上げたことを受け、「トイレットペーパーが不足する」とのデマが流れ、多くの人々が買い溜めに走り、店頭からは姿を消し、あるいは2倍、3倍の価格高騰を招いた。実際には生産量は通常通りであったのだが・・・・・。主が教えられたのは「日ごとの糧を今日お与えください。」であって、5年先、10年先の分まで出ないことに注意し、主への信頼に生きよう。
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