≪デボーションの友≫2023/1/16-21

お詫びと訂正

先週のタイトルが2003/1/9-14となっていましたが、正しくは2023/1/9-14です。お詫びして訂正いたします。 高谷 清

2023/1/16(月) 担当 高谷清師 ガラ5:1 聖歌(総)539  聖歌 521

 ルターは更にこの自由について語る。

「われわれのこの自由をたいせつにすることを学ぼう。これは、皇帝でも、天からの使いでもなく、天と地にあるすべてのものをお造りになった神のみ子、キリストがみずからの死をもってわれわれのために獲得して、われわれを、なにかある身体的かつ一時的な奴隷状態からではなくて、律法、罪、死、悪魔といった最も残酷で無数の暴君たちの霊的かつ永遠の奴隷状態から解放し、こうしてわれわれを父なる神と和解させてくださる自由である。この敵どもが屈服させられ、み子の死によってわれわれが神に対して和解させられるとき、われわれが神のみまえに義であり、われわれのすべての行動が神のみ心にかなうものであることは確かである。たとえ何らかの罪がわれわれのうちに残っているとしても、その罪はわれわれに帰せられることはなく、それはキリストのゆえに赦されているのである。(中略) この自由は、律法やわれわれの義しきのゆえではなくて、キリストのゆえに、値いなしにわれわれに与えられている。」(ルター著作集第2集第12巻ガラテヤ大講解・下日本ルーテル神学大学ルター研究所編P253 1983聖文舎)

と。ヘブライ人への手紙の記者は「もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。」(ヘブル 10:26)と語っている。神の御子ご自身が尊い犠牲によって獲得し、与えてくださった自由を大切にしょう。

2023/1/17(火)担当 ラウジー満世師 創世記26:15-25  賛美 聖歌(総)511 聖歌493

 ようやくゲラルの地に定住し始めたイサクは祝福されて豊かになった。するとそれを見たペリシテ人は妬み始めた。妬みは争いを引き起こす。ペリシテ人はイサクたちの生きていくために不可欠な井戸を埋めてしまった。ペリシテ人は妬みに加えて新参者の強大に増し加わる力を恐れたからである。イサクにとってはせっかく神の祝福によって財産を増し加えられたのに、それが周囲の人々との争いを引き起こす種となってしまった。しかし争いが起こってもイサクはその場所を立ち去り、次の場所で井戸を掘る。そこにもまた妬む者がやってくるが、イサクは別の場所に新たに井戸を掘ることを繰り返す。神の祝福により繁栄したにもかかわらず、皮肉にもそれが争いの種になる。イサクにとって心休まる状況ではなかっただろう。しかし神はイサクの地を広げ、アブラハムとの約束がイサクに引き継がれていることを確認され、神が共におられると保障された。

 神と共に歩むときにたとえ苦難に会い続けることがあったとしても、その中で平安を見出すことが出来る。神が共におられるからである。

2023/1/18(水) 担当 高谷清師 ガラ5:1 聖歌(総)519  聖歌 501

 ルターは続けて語る。

「理性には、この事柄の偉大きが分からない。だが、霊において把握するならば、これは広大、無限である。律法、罪、死、神の怒りの代わりに、罪の赦し、義、永遠のいのち、とこしえに恵みと憐れみの神をもっということがいかに大きな賜物であるかは、言葉や考えをもって追うことができない。(中略) 罪からの自由とは何であるかを、自分で自分を義しいと認める人々が理解するのは不可能である。これに対して、われわれの自由は、永遠の大祭司であって、神の右に座し、われわれのためにとりなしをしてくださるキリストという根拠をもっている。だから、このキリストによってわれわれがもっている自由、罪の赦し、義、いのちは、われわれがこれを信じるならば、確かで、決定的で、永遠のものである。それゆえ、われわれは、信仰によってこのキリストにしっかりと固着し、われわれを解放した自由のうちに竪く立つならば、この測り知ることのできない賜物をもつであろう。」(ルター著作集第2集第12巻ガラテヤ大講解・下日本ルーテル神学大学ルター研究所編P254 1983聖文舎)

と。パウロも「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。」(Ⅰコリ2:14-15)と記している。常に霊によって歩もう。

2023/1/19(木)担当 ラウジー満世師 創世記26:26-14 賛美 聖歌(総)640 聖歌602

 祝福のゆえに人々の妬みを受けて苦労が絶えないイサクに神はご自身が共におられると約束された。その後、イサクを追い出したアビメレクがわざわざイサクのもとにやってきて契約を結ぶことを求めた。イサクにとっては突然の展開であったとしても、アビメレクにとっては必要な対応であった。なぜならアビメレクはイサクの生涯に神の祝福があることを確認したからである。イサクもアビメレクの申し出を受け入れた。イサクにとっては過去に受けた扱いなどを考えると複雑な思いもあったのかもしれないが、聖書が伝えるのは神の祝福は人々の思惑に関わらずイサクの上に確かにあり、それは人々が見過ごせないものであったことである。また、自分の地を持たなかったイサクがこの契約においてその地の民に対して主導権を握るほどの確かな豊かさを神から受けていた。

 神は祝福する、共に居ると語り掛けた人々に対して最後まで責任を持ってくださる。

2023/1/20(金) 担当 高谷清師 詩 73:2-3 賛美 聖歌(総)538 聖歌 520

 1節において神の恵み深さを讃えた詩人は、2節においては自らの信仰の危機について告白する。彼が自らに信仰の危機を招いたのは、神に逆らう者の安泰を見て/わたしは驕る者をうらやんだからである。この箇所について鍋谷尭爾師は

「信仰者にとっても、嫉妬とねたみは、苦しみや悩みの中で一番大きな障害です。カインはねたみによってアベルを殺害しました。アブラハムの妻サラは、ハガルが身ごもったとき、嫉妬心に支配されました(創世16:5)。サウル王はダビデが戦功を立てるのを見て、嫉妬から婿であるダピデを殺そうとしました。イエスがいよいよ十字架にかかるため、エルサレムに上ろうとされたとき、弟子たちは天国でだれが偉いかと言い争い、ヨハネとヤコブの母がイエスに息子たちのことを頼んだとき、弟子たちは彼女を見て嫉妬しました(マタイ20:24)。実に人類の歴史は、嫉妬とねたみの歴史であり、信仰者たちの群れも例外ではありません。」(『詩篇を味わうⅡ』P289-290いのちのことば社 2006)

と述べておられる。神はカインがねたみによってアベルを殺害した時「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」(創  4:7)と語っておられる。パウロは「最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。」(エフェ6:10-11)と語っている。真理のみ言葉と信仰に立って勝利の道を歩もう。

2023/1/21(土) 担当 高谷清師 マタ17:14-20 賛美 聖歌(総)662 聖歌 616

 空腹を覚えられたイエスが道端にあるいちじくの木があるのを見つけて近寄られたが、葉のほかは何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった。この様子を見て驚いた弟子たちが「なぜ、たちまち枯れてしまったのですか」と尋ねた。これに対してイエスは「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく、この山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言っても、そのとおりになる。信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」お答えになった。ラザロの墓の前に立たれたイエスが墓穴をふさぐ石を取り除けるよう求められた時マルタが「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言ったのに対してイエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。(ヨハ 11:40)人々が石を取り除け、イエスが感謝の祈りを捧げ、命じられた時、ラザロは生き返ったのである。神に聞き入れられる祈り、それは信仰による祈りである。