≪デボーションの友≫2023/8/7-12

2023/8/7(月) 担当 高谷清師 ルカ4:5-8  賛美 聖歌(総)539 聖歌 521

 この箇所には第二の誘惑が記されている。悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せて「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。」と言った。しかしそこには「もしわたしを拝むなら」という条件が付けられていた。これに対してイエスは『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』と言う御言葉をもって答えられた。この箇所についてK. H. レングストルフは

「イエスの答には、神への無条件の信頼と完全な服従との結合がある。それ故彼はまた、神の栄光にあずかることであれ、あるいは十字架であれ、ただ神の与えるものだけを受け取りたまうのである。」(NTD新約聖書註解(3)  ルカによる福音書 P133 NTD新約聖書註解刊行会1976)

と記している。パウロは「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ロマ 8:28)と語っている。肉が喜ぶか否かではなく、全幅の信頼をもって神に従おう。

2023/8/8(火)担当 ラウジー満世師 創世記45:1-8 賛美 聖歌総合版497 聖歌480

 ヨセフはついに自分の正体を兄弟に伝えた。ただただ呆然とするだけで事実を確かめる術がない兄弟は「あなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフ」(45:11)だと語るヨセフの言葉で事実を確認した。様々な感情がこみ上げる中、ヨセフは兄たちに過去のことを悔やんだり責め合ったりする必要はないと告げる。驚くべきこの言葉の背後にはヨセフの信仰があった。実は誰にも理解できない方法で神が働き、すべてをご存じの神が一家の命を救うために準備しておられた。そのご計画の一環としてヨセフをエジプトへ遣わされたと言う。

 人間は努力を重ねて技術を獲得し、知恵と知識を得る。しかし全知全能の神の前には全く小さく弱い存在である。全てを見通せない中で直面する苦しみの意味を理解できずにもがく。私たちも神のご計画が分からず、信仰がくじけそうになる時にはヨセフを思い起こし、遥かに大きな視点で私たちの救いのために御業を行う神がいることを知ろう。

2023/8/9(水) 担当 高谷清師 ルカ4:9-12  賛美 聖歌(総)518 聖歌 500

 この箇所には第三の誘惑が記されている。悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。というのは、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じて、/あなたをしっかり守らせる。』また、/『あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える。』」言った。悪魔はここで神の言葉―聖書―を用いてイエスを誘惑している。この言葉を聞かれたウエスは悪魔の真意を見抜き、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」とお答えになった。申命記には「あなたたちがマサにいたときにしたように、あなたたちの神、主を試してはならない。」(申 6:16)と記されている。出エジプト記には「彼は、その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。」(出エ17:7)と記されている。この箇所について古屋治雄師は

「『争った』という言葉は神を被告席に座らせて裁判を開いたことを意味する。一般の人間関係の中でも誰かに対して「試す」ことは、試す者が主導権をもって試す者に対して立つことになる。神を試すとは、人間が主導権を握って神を告発し、釈明を求めようとすることである」(説教黙想アレテイア ルカによる福音1-11章P121-250日本キリスト教団出版局2014)

と述べておられる。神の言葉を聞くとは、自らを空しくして御言葉を受け入れ、従うことである。

2023/8/10(木)担当 ラウジー満世師 創世記45:1-8 賛美 聖歌総合版632 聖歌594

 ヨセフは兄たちに売り飛ばされてエジプトに来たことを神の救いの計画の一部であったという。しかしヨセフのように受け止めることはなかなか難しい。ヨセフはエジプトに来てから様々な悪意と嫉妬により冷遇された。苦しみを分かち合い、心を合わせて祈る信仰の友も誰一人居ない異郷の地である。そんな中で長い間生きてきた。ポティファルの家でも神はヨセフを祝福してくださったし、牢で出会った二人のファラオの役人と、ファラオ自身の夢を解き明かす特別な知恵もいただいた。しかしこれらの特別な祝福は必ずしも人を神への信仰に導くものではなない。かえってこれらのカリスマ的な力のゆえに傲慢になることもある。

 ヨセフはなぜ苦難の中に神のご計画を見出すへりくだった信仰を持つことが出来たのだろうか。たった一人でも信仰を保つことできたのは、幼い頃の夢や家庭でのみ言葉の教育と祈りの生活をしっかりと守り続けていたからではないだろうか。信仰の目は絶えざる神との交わりの中で育つ。地味でも毎日主を思い、感謝と賛美と祈りの願いを実践しよう。

2023/8/11(金) 担当 高谷清師 ルカ4:13 賛美 聖歌(総) 聖歌

 ルカは「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた。」と記している。ヨハネは「ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。」(ヨハ 13:27)と記している。悪魔はイエスを誘惑することに失敗してイエスを離れ去った。しかし、福音書を読んでいくと悪魔はイエスの生涯のあらゆる局面にあって水面下で妨害活動を続けていることが分かる。そしてヨハネは最後の晩餐の席において「ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った」(ヨハ 13:27)と記している。ユダは祭司長たちから銀貨三十枚を受け取って彼らにイエスを引き渡した。そこから最高法院での裁き、ピラトの裁きを経て十字架に至るのである。イエスを十字架につけ、命を奪い、葬った。悪魔は勝ち誇った。しかし神がその大能をもってイエスを復活させられたことによって悪魔は打ち破られ、滅びに定められたのである。悪魔は滅びに定められたのであって、滅ぼされたのではない。今も活動している。悪魔の完全な滅亡はなお、未来の属する。しかし、主イエスに属する者には手を触れることを許されない。ペトロは「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。」(Ⅰペト 5:8)と警告している。それ故、私たちは堅く信仰に立ってイエスの命の内を歩もう。

2023/8/12(土) 担当 高谷清師 ルカ4:9-12  賛美 聖歌(総)518 聖歌 500

 第三の誘惑において悪魔は神の言葉「主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。彼らはあなたをその手にのせて運び/足が石に当たらないように守る。」(詩91:11-12)を利用する。この箇所について古屋治雄師は

「悪魔が引用した神の言葉は、そもそも圧倒的な神への信頼が貫かれていて、そこからの賛美となっている。悪魔のようにそれを逆手にとって神を試そうとする隙間が入り込む余地はこの詩編にはない。(中略)神の言葉を神の言葉として聞こうとせず、御言葉を自分の意図に沿って利用しようとするのは悪魔だけではない。私たちが神の前に謙虚に立つことができない時、そして神の言葉に謙って聴くことのできない時、同じことをしているのである。」(説教黙想アレテイア ルカによる福音1-11章P121日本キリスト教団出版局2014)

と述べておられる。昨年、安倍元首相暗殺事件を契機として大きな社会問題となった旧統一協会は人々を勧誘するのに「聖書の学びをしませんか」と言って近づくと言う。旧統一協会に限らず、カルトと言われる者たちはほとんどが聖書の言葉を語る。彼らの問題点は謙って御言葉を聞き、従おうとするのではなく、御言葉を自からの欲望達成の手段として利用しょうとするところにある。どんな時にも謙って御言葉に聞き従おう。