≪デボーションの友≫2023/9/25-30

2023/9/25(月) 担当 高谷清師 ルカ5:17-26  賛美 聖歌(総)548 聖歌 526

 ある日のこと、イエスが教えておられた。そこには主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。この噂を、中風を患っている人の関係者たちが聞き付けた。彼らは、イエスなら中風を患っている人を癒してくださると確信をした。彼らは相談をして、中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかった。彼らは思案の末、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。更にイエスが中風を患っている人に「床を担いで家に帰りなさい」と言われるとその人は、すぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。

 この記事を読んでいくと、中風を患っている人がイエスに対する信仰をもってイエスのもとに来たとは記されていない。彼の関係者たちが自分たちの信仰によって中風を患っている人をイエスのもとに連れてきたのである。イエスはその人たちの信仰を見て御業を為されたのである。ヤコブは「あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。」(ヤコブ 5:14-15)と述べている。教会は、キリスト者は自らの信仰によって人々を助ける者でありたい。

2023/9/26(火)担当 ラウジー満世師 創世記48:1-2 賛美 聖歌総合版621 聖歌585

 ヤコブが病気になったという知らせを受けたヨセフは二人の息子を連れて父のもとに向かった。年老いた父が病気になり、間もなく地上の歩みの終わりを迎えるという状況であった。彼らを迎えたヤコブはベッドに座った。座るために「力を奮い起こし」たのである。徐々に体も弱り、体力も衰えていたであろう老齢のヤコブはあえて全力でベッドの上に座っている。最後にヤコブ自身が成し遂げなければならない、神に選ばれた族長としての大切な努めが残っていることを自覚し、それを完成するためであった。この見舞いには単に大切な身内に最後の挨拶をするという以上の意味があった。それは族長であるヤコブがエジプト生まれの二人の孫を祝福し、養子として、神の選びの民であると宣言することであった。

 人は年を重ねるにつれて様々な力が衰える。重要な仕事を後進に引き継いでいかなければならない。しかしこのように立場と分担が変わることは神の選びとそれによって与えられた権威がなくなるということではない。ヤコブは最後まで族長として神の祝福を孫たちのために祈った。神に託された働きを、しっかり果たそう。

2023/9/27(水) 担当 高谷清師 ルカ5:17-26  賛美 聖歌(総)502 聖歌 485

 ルカは「ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。」と記している。ガリラヤはパレスチナ地方の北方であり、ユダヤはパレスチナ地方の南方である。ファリサイ派の人々と律法の教師たち―当時のイスラエルの指導者たちがパレスチナ全域からイエスの話を聞くために集まっていたのである。この事は当時、イエスの名がパレスチナ全域に知れ渡っていたことを示している。彼らはイエスが中風を患っている人に「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた時、あれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」と。「ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」と言う、彼らの考えは正しい。レビ記16章は罪の赦しについて記している。「神を冒涜するこの男は何者だ。」と言う彼らの問いに対してイエスは「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。すると「その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。これによってイエスはご自分が神ご自身であられることを明らかにされた。

2023/9/28(木)担当 ラウジー満世師 創世記48:3-7 賛美 聖歌総合版501 聖歌484

 ヤコブはカナンの地で神の祝福を受け継いだ者として語り、ヨセフの二人の子に祝福を祈る。4節に見られる祝福の内容は子孫の繁栄と土地所有の約束であった。これは最初に神がアブラハムに与えられた祝福であった。アブラハムからイサクへ、そしてヤコブへと、神に選ばれた者に伝えられてきたこの祝福は今やヤコブからエジプト生まれの二人の孫へも引き継がれていく。歳を重ねたヤコブが、なおも神に選ばれた者としてその祝福を混乱なく次の世代へ引き継いでいくためにこの祈りという働きを託された。

 神は変わらぬ約束と祝福を歴史の中で引き継いでいくために人々を選び、立て、祝福を伝え、受け継ぐ道を備えておられる。神を信じる私たちはしっかり神の祝福を受け取り、後に続く人々のためにとりなして祈り、伝えよう。

2023/9/29(金) 担当 高谷清師 ルカ5:17-26 賛美 聖歌(総)640 聖歌 602

 イエスが「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われると、彼はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。彼は神を賛美しながら家に帰って行った。それは彼の信仰を表している。はじめ、彼はイエスを求めたのでも慕ったのでもなかった。中風による麻痺の中で自由を奪われ、望み無く、死を待つ身であった。しかし、友人たちの信仰によってイエスへ導かれ、イエスとの出会いによって信仰を与えられ、赦され、癒され、絶望の人生は喜びと希望の人生へと変えられたのである。イエスとの出会いは私たちに赦しと癒しを得させる。我欲と憎しみの人生を歩んでいたザアカイはイエスとの出会いによって義と愛の人生へ、人生の裏街道を歩んでいたサマリアの女は命の道を歩む者と変えられたのである。

2023/9/30(土) 担当 高谷清師 ルカ5:17-26  賛美 聖歌(総)617 聖歌 581

 中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした、信仰の男たちのその後について、ルカはなにも記していない。しかし、パウロは「「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。」(ロマ10:13-15)と記している。そして主から与えられた福音宣教の使命を生き切り、世を去るべき時が近づいたのを悟ったパウロは愛弟子テモテに宛てて「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」(Ⅱテモ4:6-8)と書き送っている。信仰によって他者に仕え、使命を全うする者に対し主は義の栄冠を備えていてくださる。