≪デボーションの友≫2023/10/2-7

2023/10/2(月) 担当 高谷清師 ルカ5:27-32  賛美 聖歌(総)404 聖歌 404

 「イエスは出て行って、レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。」と記されている。「徴税人」はローマ政府のために同胞から税を徴収する者であり、多くの収入を得たこともあって、羨望の混じった憎悪の対象になり、また差別もされていた。イエスはこの徴税人レビを見つめ、「わたしに従いなさい」と言われた。この言葉を聞いたレビは、何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従った。

ダビデを召された主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サム上 16:7)と語っておられる。また、詩編は「打ち砕かれた心の人々を癒し/その傷を包んでくださる。」(詩 147:3)と詠っている。主のみ前に真実に歩もう。

2023/10/3(火)担当 ラウジー満世師 創世記48:8-11 賛美 聖歌総合版580 聖歌556

 ヤコブがヨセフの二人の息子に対面する。ヤコブは目がかすむほど年を重ねてから、ヨセフの子らにまで会わせて頂いた。ヤコブ自身がヨセフの顔さえ見ることが出来ると思わなかったと正直に語っているとおりである(11節)。かつて息子を失ったヤコブは深い悲しみを乗り越えるために長い年月を要した。最愛の息子の死を許した神に悲しみと疑問を訴えただろう。しかし人間は自分では変えることが出来ない出来事を神への信仰を持って受け入れなければならない。ヤコブもそうしてきた。だが思いがけず、死が近づいてから、一度は諦めた愛息子と、さらに孫にも会わせて頂いた。

 神の働きは人間が見るよりもはるかに長い時の中で計画されている。私たちは限られた時間の中で眼前の状況の中で苦しみ、神に問うこともあるが、神は私たちの生涯を見通し、事を成してくださる。憐れみ深い主の御手の中に生かされていることをいつも覚え、神への信仰を日々築きたい。

2023/10/4(水) 担当 高谷清師 ルカ5:27-32  賛美 聖歌(総)444 聖歌 442

 イエスの言葉に応答して、何もかも捨てて立ち上がり、イエスに従ったレビは、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。宴会には徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。ルカが「ほかの人々」と記しているところをマタイは「罪人」(マタ9:10)と記している。この光景を見たファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」と。

 モーセに導かれて荒れ野を旅していたイスラエルの民は三日間水を得られなかったためつぶやいた。紅海のほとりで素晴らしい主の奇跡を体験して主に感謝した地を旅立ってわずか三日後のことであった。「つぶやき」について加藤常昭師は「人間が神について判断をしているということである。つまり、信仰と対立することなのである。」(説教黙想アレテイア ルカによる福音1-11章P162日本キリスト教団出版局2014)と述べておられる。

 ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちのつぶやきに対してイエスは「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」と答えておられる。ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちは徴税人や罪人達を退ける。しかしイエスは彼らを悔い改めさせるために招かれる。

2023/10/5(木)担当 ラウジー満世師 創世記48:8-11 賛美 聖歌総合版446 聖歌444

 再びヤコブと彼の息子及び孫たちとの出会いの場面を読みたい。ヤコブにとっては、ヨセフははるか昔に死んだ子であった。兄たちの悪事を知る術もなかった。一方兄たちもヨセフを売り飛ばして父に虚偽の報告をして父の深い悲しみを見ながら、たとえ自分たちの悪を後悔したとしても売り飛ばした後の行方が分からない弟を取り返すこともできなかっただろう。人間の手には負えないことが起こる。すべての人が想定外のことや変えられない思いがけない出来事に遭遇しながら、周りの人々に支えられ、祈りにおける神との格闘の中で受け入れるほかないことを受け入れて生きているだろう。人間にできることは実は限られている。

 しかしヤコブとヨセフたちの再会を通して、神は人にはできないことがおできになる方だと知る。また人々を苦しめる出来事を通しても、選ばれて約束の中に生きるこの家族を守り、祝福を与え、生かすご計画をも進められる方である。憐れみ深く真実な神が私たちの神である。人生で出会う苦難の中でも必ずこの神が背後におられることを覚えて神に頼り続けよう。

2023/10/6(金) 担当 高谷清師 ルカ5:27-32  賛美 聖歌(総)579 聖歌 555

 レビが自分の家でイエスのために盛大な宴会を催し、そこに徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いているのを見たファリサイ派の人々やその派の律法学者たちは「なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか。」と言った。ファリサイ派について加藤常昭師は

「ファリサイ派は聖潔な、信心深い、時流に媚びない、清貧に耐える人びとであった。汚れた人びととは交わることのない、祈りの深い、神のおきてに生きる人びとであった。今日の日本のプロテスタント教会の信徒たちは、まさにそのようなファリサイ派的特質に生きているということはないのか。私は伝道者として教会のなかに立ったとき、教会員のなかにあるしぶといほどのファリサイ派根性との困難な戦いをせざるを得ないと深く自覚した。説教者としての戦いのひとつは常にこれであった。」(説教黙想アレテイア ルカによる福音1-11章P160日本キリスト教団出版局2014)

と述べておられる。福音は素晴らしい。しかし今日、私たちの交わりに徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いているのを見ることができるであろうか。主イエスは言われる「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」と。

2023/10/7(土) 担当 高谷清師 ルカ5:27-32  賛美 聖歌(総)616 聖歌 580

 イエスは「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」と語っておられる。イエスに招かれたレビは喜びと感謝に溢れた。それによって自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人やほかの人々が大勢いて、一緒に席に着いていた。その宴席は喜びにあふれていた。父親に財産の生前贈与を要求し、その財産を放蕩に使い果たした後、悔い改めて帰って来た息子を迎えた父親は肥えた子牛を屠り、祝宴を始めた。パウロは「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。」(ガラ5:22-23)と述べている。  今、私たちは口を開けば「伝道、伝道、宣教、宣教」と言う。しかし今、聖書が言う「徴税人やほかの人々」に届く言葉を持っているだろうか。私自身、毎週「礼拝の友」を書いているが、これが教会に縁を持たない人々のたましいに届くであろうかという懸念がある。教会に縁を持たない人々のたましいに届く言葉、感謝と愛に満ち、聖霊によって命注がれた言葉を祈り求めていこう。