2012/4/9-14

 

2012/04/09(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 3:12-19  賛美 心の中でメロディを?20
 著者はここで「あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい」と警告する。「信仰のない悪い心」とは不信仰である。信仰者が信仰を持ち続けるためには多くの戦いがある。信仰者が信仰をもち続けるための戦いについて主は種まきの譬え(マタイ13:1−23)において語っておられる。とりわけ、日本のような異教の国に住む信仰者にとっては、戦いは大きい。若い時はそれほど切実ではないとしても、家庭をもち、社会的責任(地域的・親族的)が増すにしたがってその戦いは増大していく。また信仰の先輩に対する躓き、等わたしたちを不信仰に陥らせようとする要素は枚挙にいとまがない。またイスラエルの荒野の旅路において不信仰に陥り、神に反抗した人々についても、渇き、食物等理由はあったであろう。しかしそれらをもって不信仰を正当化することはできないのである。堅く信仰にとどまろう。
 

 

2012/4/10(火)担当 高谷満世師 サムエル記上16:1-5前半 賛美589 聖歌
 サムエルはすでに主に退けられたサウルを惜しんでいた。しかし主はそこにとどまることを良しとされず、次の王に油を注ぐために出かけていくよう命じられた。これはサムエルにとっては気の進まない難題であった。このことによってサウルに命を狙われる危険性も感じていただろう。
 私たちは普段、主に仕えることの祝福に注目することを好む。聖書の中で主の僕たちが人々から受け入れられ、尊敬される姿に目が行く。しかしこの時のサムエルの状況は、時として主に仕えることは命がけであることを教えてくれる。主に従う中で、命の危険を感じるほどの状況において、それでも主に仕える献身を必要とすることもある。そのような奉仕においてすら神は私たちを守るために必要な知恵を与え、その奉仕をさせてくださる(2-3節)。
 困難な奉仕が求められることがあっても、主に信頼し、主に知恵を頂き、主の言葉を信じて歩もう。
 

 

2012/04/11 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 3:12-19 賛美 聖歌340
 続いて「あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい」と勧められている。わたしたちは日々不信仰―罪との戦いを強いられている。また罪は、そして誘惑者―悪魔はしばしば光の天使に偽装して迫ってくる。それらから守られるために教会の交わりを絶やしてはならない。教会の交わりにおいてこそキリスト者は互いに祈り合い、教え合い、助け合い、励まし合って勝利し正しい道に歩むのである。著者は10章においても「ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか(ヘブ 10:25)」と言っている。
 

 

2012/04/12(木)担当 高谷満世師 サムエル記上16:5後半-13 賛美 聖歌578
 サムエルはいよいよエッサイの息子たちと会い、その中から主に選ばれた者に油を注ぐ時が来た。長男エリアブはかつてのサウルのように(9:2)立派な姿であった。しかし神はエリアブと他の六人の兄弟を選ばれなかった。彼らの容姿は優れており、人の目には素晴らしいリーダーになる器として映ったが、神は人が見るのとは違った見方で見られる。かつてギデオンを選んだように、神は弱いものを選ばれる。また苦難の僕の姿が傷にまみれ、苦しみを受けて人の目には華やかでなかったように、外見上、人が選ぶのとは異なる基準で神の選びはなされる。サムエルも最初は姿の美しい兄を見て神の選びの器だと思った(6節)が、神はサムエルを導いてご自身が選ばれたダビデに油を注がれた。そしてその日からダビデには主の霊が激しく下り、主がともに居られることが示された。
 私たちはどうしても人の外面によってその人が主の働きにふさわしいか判断したくなる。それは他者に向けられることもあれば自分に向けられることもある。しかし神の選びは人の選びとは基準が違う。神との交わりの中で常に主の導きを求めよう。
 

 

2011/04/13(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙 3:12-19   賛美 聖歌396
 「わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです」と語っている。「キリストに連なる者」とは12:28で語られる「揺り動かされることのない御国」を受け継ぐ者のことである。そうなるためには「最初の確信を最後までしっかりと持ち続ける」ことが必要である。イスラエルの民は神の声を聞き、モーセに率いられて意気揚々とエジプトを出た。しかし試練の中で大多数の人々が不信仰に陥り、神に反抗し、約束の地に入ることができず、死骸を荒れ野にさらしたのである。福音を聞き、キリストを信じ、救いの恵みに与かった私たちにも、御国に入れられるまでの旅路には多くの試練が待っている。わたしたちは終りの日まで救いの確信をしっかりと持ち続け、御国を受け継ぐ者とされよう。
 

 

2012/04/14(土)高谷由紀子師 ルカによる福音書8:40-48   賛美 聖歌617
 イエスが会堂長ヤイロの求めに応じてその家に向かわれる途上においての出来事が記されている。12年間にわたって病んでいた一人の婦人がいた。多くの医者にかかり、全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえず、失意の中にあった。その頃多くの人を癒されたイエスの噂を聞き、イエスに最後の望みをかけていた。そこにイエスが通りかかられたので、彼女は恐る恐るイエスの衣に触れた。すると直ちに癒された。主は恐れおののく彼女に向かって「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」と言われた。神の恵みは信じる者の上に豊かに現わされる。今日も信仰によって歩もう。