2013/3/25-30

 

2013/3/25(月) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙12:1-3 賛美 聖歌451
 続いて著者は「自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」と述べる。キリスト者はしばしば競技者にたとえられる。キリスト者は、罪のために神との交わりを遮断され、死に定められ、虚無と絶望の中にあった者が、キリストが私たちの罪を負って十字架に架かり、血を流し、命を捨て、私たちの罪の贖いとなってくださったことにより、このお方を救い主として受け入れ、告白することによって、罪から解放されて永遠の命に移された者である。わたしたちはこれによって生きる意味と希望を与えられ、神の民として御国を目指して新しい生の歩みを始めたのである。その歩みには、競技者がそうであるように、多くの忍耐が必要である。この忍耐についてパウロは「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです(ロマ 5:3-5)」と述べている。
 

 

2013/3/26(火)担当 高谷満世師 列王記上6:1-38 賛美 聖歌521
 いよいよソロモンが神殿建築に着手する。その神殿建築の様子が細かく記されている。聖書を読み進めていく中で、数字が並んでおり、内部の装飾が細かく記されているこの箇所は読みづらいかもしれない。しかし、ここにも神の祝福、神と神の民の関係が見られる。
 神殿は神の箱を収める特別な建物であったから、建築の際にも完璧さが失われてはならなかった。道具を使うときの音すら、慎重に排除された。神殿建築に携わった作業員はユダヤ人であった。神の祝福の豊かさは、神殿内部に施された装飾のさまざまなモチーフに現れている。神殿に置かれた祭壇などの備品はかつてイスラエルが荒れ野で旅をした幕屋のものを思い起こさせる。神殿は単なる建物ではなかった。これからイスラエルの民が礼拝を捧げ、神に出会う場所であった。そこに行くとイスラエルの民は神の豊かな恵みを見、荒れ野の時代からともに居られた神が今もともにいてくださることを実感した。
 私たちもこのように、神の恵みを思い起こす場所を持ちたい。
 

 

13/3/27 (水) 担当 高谷清師 ヘブライ人への手紙 12:1-3 賛美 聖歌453
 主イエスについて「信仰の創始者また完成者」と言われている。「創始者」と言う言葉には「導き手」と言う意味と「創立者」と言う意味があると言われる。ルカは弟子たちが主に『「わたしども信仰を増してください」と言った』と記されている。わたしたちは今、信仰を与えられて贖いの恵みの中に入れられているが、多くの人は信仰を持つことができず、恵の外に置かれている。わたしたちは自分が信仰をもち得た事を、自分から出た事と考えがちであるが、そうではない。主は「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのであるヨハ 15:16)」と語っておられる。「正しい者は信仰によって生きる」と言われる時、この信仰もまた神の賜物であることを心にとめ、ただ主により頼んで歩もう。
 

 

2013/3/28(木)担当 高谷満世師 列王記上6:1-38 賛美 聖歌543
 神殿は過去の神とイスラエルとの歩みの中で、その恵を思い起こさせるものであった。そして同時に、過去にとどまっているだけではなく、未来に向かっても開かれている。
 神殿建築の最中、神はソロモンに語られた(6:11-13)。主がイスラエル民の中に住み、決して見捨てることはない。しかし、そこには絶対に聞き逃してはいけない条件があった。ソロモンが神の掟に従って歩み、法を行い、戒めに従うなら、というものであった。これは将来に向けて神がともに居られるという喜ばしい約束であると同時に、それは神だけの責任によって守られるものではなく、ソロモンとイスラエルにも守るべき責任を与える言葉であった。神殿はこれ以後の王達を評価するときに、この場所で適切な献げものを献げたかどうかによって判断される基準ともなる。
 神はイスラエルに対して望まれたように、今の時代に生きるクリスチャンとも親しい関係を持ち続け、祝福し続けたいと望んでおられる。私たちは常に「自分は神の祝福を受けるに値する従順さを持っているだろうか?」と自分に問いかけなければならない。
 

 

2013/3/29(金) 担当高谷清師 ヘブライ人への手紙12:1-3 賛美 聖歌450
 主イエスは信仰の「完成者」と言われている。神が長い間預言者によって語ってくださった贖いの御業は、主イエスによって成就された。またパウロは「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています(フィリ 1:6)」と述べている。これらのことから、私たちの救いは神のみ前に完成されているのである。またこの救いに与かりながらも「空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊」の支配する地上にあって、キリスト者としての歩みに困難を覚えているとしても、また、つまずくことがあっても、終りの日までに完全なものとしてくださるのである。御言葉に対する全き信仰と確信をもって歩もう。
 

 

2013/3/23(土) 担当高谷由紀子師 フィリピの信徒への手紙 2:3-4 賛美 聖歌476
 第一回伝道旅行の帰途、パウロとバルナバは辿ってきた道をもう一度引き返し、誕生したばかりの教会を訪ねた。困難と迫害の中に立つ幼い教会について彼らにはぬぐいきれない不安があったであろう。それ故、使徒たちは弟子たちを力づけ、励ました。また弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せたのである。
 使徒たちは主に委ねようとする時必ず断食して祈りました。祈りなくしては主に委ねることはできません。わたしたちも先ず祈りをもって今日一日を主に委ね、導きに従って歩みを始めてまいりましょう。