≪デボーションの友≫2022/4/25-30
- 2022.04.24
- ディボーションの友
2022/4/25(月) 担当 高谷清師 ガラ 1:6 賛美聖歌(総)538 聖歌 520
パウロは「キリストの恵みへと招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に移って行こうとしていることに、私は驚いています。」と語っている。パウロはガラテヤの人々に福音を伝えた。その内容は「人が救われるのは律法の行いによらず、キリスト・イエスを信じる信仰のみによる」と言うものであった。パウロが去った後、「ほかの福音」を伝えるユダヤ主義教師たちが侵入してきて「人が救われるのは、キリスト・イエスを信じる信仰と共に、律法の行いと割礼を受けることが必要である」と教えるとともに、パウロの使徒職を否定した。ガラテヤの人々はこの「ほかの福音」に素早く反応した。
アラムの王の将軍ナアマンが規定の病の癒しを求めてエリシャの家に来た時エリシャは使いの者をやって、「ヨルダン川に行って、七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなるでしょう」と言わせた。ところが、ナアマンは怒って立ち去り、こう言った。「私は、彼が自ら出て来て私の前に現れ、彼の神、主の名を呼んで、患部に手をかざし、病を癒やすものとばかり思っていたのだ。ダマスコの川であるアバナやパルパルのほうが、イスラエルのどんな水よりも良いではないか。それなのに、これらの川で洗っても、清くなれないというのか。」ナアマンは身を翻し、憤って立ち去った。(王下5:5:10-12)と記されている。
「恵みのみ」、「信仰のみ」と聞く時、人は何か頼りなく感じるものである。それは福音を深く理解しないところから生じるのである。日々御言葉に親しみ、神と交わり、真理へと導いていただこう。
2022/4/26(火) 担当 ラウジー満世師 創世記2:8-14 賛美 聖歌(総)500 聖歌 483
神は東の方に園を設けられた。ここには地下から湧き出す水があり、木が植えられていた。そしてこのエデンの園から湧き出した水が四つの川となり、流れ出している。この四つの地方は世界全体を表している。神は地下からの水を湧き出させ、この水が世界各地に流れていく。それぞれの地方では金や琥珀が産出され、豊かに潤された土地では様々な地の産物が実る。そして各地において命を支えている。
世界の中心は神が創造し、整え、最初の人を置かれたこの園である。この中心から流れ出す水によって世界各地は潤され、命が保たれている。創造の初めに園から流れ出していた川を現在の地理から特定することはできない。しかし、私たちがこの箇所を読むとき、確かに神が命の源であり、そこから流れ出す神の賜物によって世界中の人々、命が保たれていることを知る。私たち自身が神よりの命を与えられたものであることを喜ぼう。またすべての人々が神の恵みの中で生かされている存在であることを覚えて、一人一人が祝福の源である神を知ることが出来るようにとりなして祈り、恵みを分かち合おう。
2022/4/27(水) 担当 高谷清師 ガラ 1:7-9 賛美 聖歌(総)150 聖歌 聖歌 195
「ほかの福音」についてパウロは「ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人たちがあなたがたをかき乱し、キリストの福音をゆがめようとしているだけなのです。しかし、私たちであれ、天使であれ、私たちがあなたがたに告げ知らせた福音に反することを告げ知らせるなら、その者は呪われるべきです。私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。誰であれ、あなたがたが受け取った福音に反することをあなたがたに告げ知らせるなら、その者は呪われるべきです。」と語っている。ヨハネは「この書の預言の言葉を聞くすべての者に、私は証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受け取る分け前を取り去るであろう。」(黙 22:18-19)と語っている。また、「解釈」と称して御言葉に人の欲望が読み込まれるのを見聞きすることがある。ぺトロは「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、人々が聖霊に導かれて、神からの言葉を語ったものだからです。」(Ⅱペト 1:20-21)と語っている。聖霊の導きと光の中で御言葉を読もう。
2022/4/28(木)担当 ラウジー満世師 創世記2:8-15 賛美 聖歌(総)521 聖歌 503
神が美しく整えられたエデンの園に人を連れて来られた。目に美しいだけではなく、地の実りによって養われる豊かな環境の中に最初から住まわせていただいた。神は人に対してこの環境と命だけではなく、さらに責任と働きを与えられた。つまり、体が造られ、命を与えられて生物として存在しているだけでは人として未完成であった。神御自身が造られた人を信頼し、園を管理する大切な働きを委ねて下さった。
神は人を奴隷として利用するために道具として創られたのではない。神の大切な被造物を管理させ、良い状態に保つよう、責任をもって守るという任務を与えることによって人が神とつながり、喜びを得る存在として生きる道を与えて下さったのである。日々与えられている働きを喜ぼう。また今の時代にも神の被造物の中に生かされ、それを維持する働きを委ねていただいていることを覚え、環境を整えることも主への奉仕として受け止めよう。
2022/4/29(金) 担当 高谷清師 詩 68:2-4 賛美 聖歌(総)569 聖歌 545
詩人は
「神は立ち上がり、敵を散らす。/神を憎む者はその前から逃げ去る。煙を吹き払うように、あなたは敵を吹き払う。/火の前に蝋が溶けるように/悪しき者は神の前に滅び去る。正しき人は喜び、祝う。/神の前に喜び、楽しむ。神に向かって歌え。/その名をほめ歌え。/雲を駆って進む方をたたえよ。/主の名によって、その前に喜び躍れ。」
と詠う。この箇所は詩篇第一篇を思い起こさせる。神の民イスラエルの社会においても自らを神の民と自称しながら、神を信じず、神を畏れず、神の名を用いて肉欲の追求に余念のない者が多くいた。他方、心の底から神を信じ、神を愛し、畏れをもって敬虔に歩む者がいた。両者の判別は人間には出来ない。心をご覧になる神だけがおできになる。イエスは「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。天におられる私の父の御心を行う者が入るのである。その日には、大勢の者が私に、『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか』と言うであろう。その時、私は彼らにこう宣告しよう。『あなたがたのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ。』」(マタ 7:21-23)と語っておられる。常に、御前に畏れと真実をもって歩もう。
2022/4/30(土) 担当 高谷清師 マタ 6:5-15 賛美 聖歌(総)421 聖歌 420
この箇所にはイエスの祈りについての教えが記されている。その中でイエスが弟子たちに「だから、こう祈りなさい」と言って教えられた部分を教会は「主の祈り」として時に応じて献げてきた。聖書は学問的進展と時代に伴う言葉に変化に対応するため改訳を繰り返してきた。しかし「主の祈り」は旧文体のままで保持され、今日も教会によって用いられている。その本文を記す。折に触れ、人々によって献げられれば幸いである。
主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくは
み名を崇めさせたまえ
み国を来らせたまえ
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日もあたえたまえ
我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく
我らの罪をも赦したまえ
我らをこころみに遭わせず、悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなりアーメン 次回からは一つ一つの祈りについて学んでいきたい。
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