2014/11/3-8

2014/11/3 (月) 担当 高谷清師 ?コリ11:2  賛美 聖歌 501
 ここまで「偶像にささげた肉」を食べるか否かと言った対社会的な問題を論じてきたパウロは「教会内の秩序」という問題に視点を移して語る。最初に「あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います」と語って、コリント教会の人々をほめる。コリント教会内には分派の問題、悪徳の問題、偶像礼拝の問題・・・・・等々、多くの問題があった。しかし、教会全体としては、パウロを思い起こし、彼が伝えた教えを守っていた。それに対してパウロは「立派だと思います」と語っているのである。「一難去ってまた一難」という言葉があるように、クリスチャンの歩みには、日々いろいろな問題が起こってくる。それらの問題に対し、判断し、決断し、進んでいかなければならない。それらの判断、決断の立つべき基盤は御言葉と聖霊の導きである。信仰の先達は「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯(詩119:105)」と告白している。

2014/11/4(火) 担当 ラウジー満世師 歴代誌下8:1-18  賛美 新聖歌355  
 ソロモンの神殿建築と神殿の奉献が終わり、ソロモンの治世についてのまとめがなされていく。神殿と町々が整備された後、ソロモンはファラオの娘をダビデの宮殿から別の宮殿に移している(8:11)。これはファラオの娘がイスラエル人ではなかったからであろうか。しかし、旧約聖書の中には多くの外国人の妻たちが記録されている。実際にルツは外国人であったが、彼女は批判されておらず、イスラエルの中に受け入れられ、その家系から後にダビデが生まれている。それではなぜファラオの娘が神の箱が迎え入れられた聖なるところに住むことがふさわしくないのだろうか。それは人種的な理由からではなく、正しい礼拝を維持するためであっただろう。異民族を結婚によって迎え入れることによって異なる習慣や理解が持ち込まれる。それによってイスラエルの礼拝を損なうことにもなりうるのである。それゆえに、イスラエルの純粋な信仰と正しい礼拝を守るために、異なる信仰を持つ者をその場所から遠ざけるという配慮がなされたのである。
 信仰を異にする人々との関係は常に私たちの周りに存在している。私たちは神を信じる者として神に従うことを第一とする。それを妨げるものがあるならば、注意深く取り扱わなければならない。人々の救いのために祈ろう。

2014/11/5 (水) 担当 高谷清師 ?コリ11:2-16  賛美 新聖歌 216
 そののちパウロは教会における秩序について、創造の御業にもとづいて「すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです」と語る。それは神が御言葉によって人を創造し、助け手として男から女を造られたからである。さらにパウロは「主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです」と述べる。このように、パウロはその秩序を神、キリスト、男、女とした。しかしこれは支配と隷属の関係ではない。神は人を愛してその救いのために御子を与えてくださり、御子は父なる神と人への愛の故にご自身を献げ、血を流し、命を棄てて神のみ旨を成就し、人の救いを達成してくださったのである。さらにパウロは「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい(エペ 5:25)」と語っている。主にある神と人、人間関係―夫婦・親子・友人・社会的・・・・・―は、愛と信頼の関係である。今日もキリストの愛に満たされて共に生きよう。

2014/11/6(木) 担当 ラウジー満世師 歴代誌下8:1-18  賛美 新聖歌345  
 火曜日に続いて8章を読む。ソロモンの偉業は単に壮大な神殿を建築したということではなかった。社会において歴史的に評価されるのは壮大な建造物であったり、支配領域の拡張であるが、歴代誌においてそれ以上に大切なことは建築された神殿において定めに従って正しいいけにえがささげられ、祭りが行われ、礼拝が守られることである。ファラオの娘である妻が別の宮殿に移されたことはこのことにもかかわりがあるかもしれない。律法によると、女性は祭儀的に汚れている期間があるとされた。つまり彼女が別の宮殿に移されたのは、礼拝の場所に汚れを持ち込まないという理由であったからかもしれない。
 ソロモンにとって正しい礼拝がささげられること、祭儀が守られることは大切なことであった。それらはダビデによって定められたことであり、ソロモンはその祭儀を実行するために召された者であった。16節にも神殿における礼拝が定められた通り行われたことが報告されたのちに、主の神殿が完全になったと記されている。『箱』としての神殿を作ることがソロモンの任務ではなかった。神の御心に沿った正しい礼拝がささげられて初めてソロモンの使命が全うされたのである。正しい礼拝は外形ではなく、神の御心に従うことである。

2014/11/7(金) 担当 高谷清師 ?コリ11:17-19  賛美 新聖歌 316
 パウロは「次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません」と言って次の問題点を指摘する。それは「あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いている」からである。それは彼らの中にある仲間割れのせいである。パウロはそのことを人伝に聞いており、自身でもある程度確認していた。教会における集会は、聖霊の臨在の中で御言葉を聞き、祈り、聖礼典が執行され、真理を悟り、愛に満たされ、神を愛する者と変えられ、聖徒互いがキリストの愛によって結ばれ、一つとされるものでなければならない。しかし、コリント教会においては仲間割れがあり、聖徒の間で党派対立が生じる状態であった。
 教会はキリストが愛の故に十字架に架かり、血潮をもって贖われた聖徒の集まりであり、神の支配の中にあるところである。しかし、現実の教会の歴史は争いと対立の歴史である。これについてパウロは「だれが適格者かはっきりするためには、仲間争いも避けられないかもしれません」と述べる。私たちはキリストの内にとどまり、愛に満たされ、自らの我欲によって真理の道を踏み外さないように歩もう。

2014/11/8(土) 担当 高谷由紀子師 テサロニケ1 3:11-13 新聖歌24
 ヨハネが捕えられた後、イエスはガリラヤへ行って伝道を始められた。その第一声は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」であった。福音は神の約束による罪からの救い、希望と平和の良きおとずれである。国家、社会、家庭が暗黒と不安の只中に在る時、世の手段によっては得られない希望と平和のメッセージを語られた。そして悔い改めを命じられた。自分の罪を離れて神に帰れ、地より目を転じて天を仰げ、神を信じよ、とのメッセージである。”,,1086″