2015/10/5-10

2015/10/5 (月) 担当 高谷清師  ?ペテ1: 22-25 賛美 聖歌 273
 ぺトロは「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです」と語る。キリスト者は「真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになった」者である。彼らは新しく生まれた者、水と霊とによって生まれた者である。それは神の変わることのない生きた言葉によるのである。ヨハネは「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった(ヨハ 1:1-4)」と述べ、更に「言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。(ヨハ 1:10-13)」と述べている。即ち、私たちが新しく生まれたのは、神の変わることのない生きた言葉イエス・キリストによるのである。そして主は「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである(ヨハ15: 5)」と言われる。キリストに根ざして生きよう。

2015/10/6(火) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書10:16-19 賛美 新聖歌429
 アッシリアが神に対して傲慢にふるまっていることを非難し、さらに神がアッシリアを徹底的に火で滅ぼされると語る。神のご計画に乗じて必要以上にイスラエルを攻めたアッシリアに対しては、最後まで神の憐れみは示されず、破壊に続く後の日の回復という希望も与えられていない。全く神を拒み、神に対して傲慢になるアッシリアには滅びが待っているのみである。
 アッシリアは神に選ばれていないから神に従わなくても裁かれないという理屈は通らない。神はイスラエルの神であると同時に全世界の民である。世界のあらゆる被造物が神の御手の中に存在している。あらゆる人々が真の神を認めて受け入れ、神を畏れつつ歩むことが出来るよう、私たちは祈り伝えていこう。

2015/10/7(水) 担当 高谷清師  ?ペテ1:22-25  賛美 新聖歌 361
 ペトロはイザヤ書の40:6−8を引用して肉なる者の弱さと有限性、神のことばの永遠性について語る。肉から生まれた人はやがて枯れていく草のようである。その華やかさ―美・輝き・名声・・・―人間の栄光と偉大さはやがて消え失せるのである。これについてヤコブも「また、富んでいる者は、自分が低くされることを誇りに思いなさい。富んでいる者は草花のように滅び去るからです。日が昇り熱風が吹きつけると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。同じように、富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです(ヤコ 1:10-11)」と述べている。私たちは、それが今、いかに輝かしく見えるとしても、やがて消え行く肉なるものではなく、永遠に変わることがない、福音として告げ知らされた主の言葉に固く立って歩もう。

2015/10/8(木) 担当 ラウジー満世師 イザヤ書10:20-34 賛美 新聖歌233
 アッシリアは徹底的に神によって滅ぼされるが、イスラエルには裁きを経て残りの者が帰ってくるという希望が語られる。その時にはついにイスラエルが近隣の他国に頼るのではなく、主に頼る(10:20)。かつて神がアハズ王に対して神にのみ信頼を寄せることを迫った時、王はそれに従うことが出来なかった(7章)。しかし神が敵であるアッシリアを裁かれるという御業をなされるときに、ついにイスラエルは神に信頼することが出来るようになる。
 神は預言者を通して、背き続けるイスラエルとユダに裁きの言葉を一貫して語られた。しかしそれは神が民に愛想をつかして見捨てたのではなく、彼らが本当に悔い改めるための裁きであった。あらゆる状況の中で変わらず愛し続けてくださるのが神である。その愛にふさわしく歩みたい。

2015/10/9(金) 担当 高谷清師  ?ペテ2:1-3  賛美 新聖歌 32
 ペトロは1:22において「あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で深く愛し合いなさい」と勧めた。清い心で深く愛し合うためには、まず第一に為すべきことは、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去ることである。これらは兄弟を傷付けるものであって、これらを捨て去らない限り清い心で深く愛することはできない。パウロもまた「肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません(ガラ 5:19-21)」と述べている。私たちは聖霊の助けを求め、それによって神の子にふさわしくないもの一切を捨て去り、清い心で深く愛し合う者、神の御心を行うものとなろう。

2015/10/10(土) 担当 高谷由紀子師 マタイ7:24-27 賛美 新聖歌316
 家を建てるときに大事なのは土台です。確かなしっかりした土台を据えて建てた家は嵐やそのほかの災害に強い。弱い土台の上に建てた家は見栄えは良かったとしても災害に遭うと簡単に倒れてしまいます。主イエスはこの譬えによって固い岩の上に土台を据えた人をかしこい人、砂の上に土台を据えた人を愚かな人と言われました。私たちは何に人生の土台を置いているであろうか。神のことばを聞いて行うことこそ勝利の道なのです。”,,1070″