≪デボーションの友≫2022/12/19-24

2022/12/19(月) 担当 高谷清師 ガラ4:16-20 聖歌(総)538  聖歌 520

 パウロの伝えた福音を受け入れ、信じ、支配する諸霊から解放され、喜びに満ちた信仰生活を送っていたガラテヤの教会に律法主義者が入り込んで異なる福音を伝えた時、ガラテヤの聖徒たちはそれを受け入れ、割礼を受け、彼らに従って行った。彼らはパウロの伝えた福音から離れたわけではない、福音はしっかりと信じている、その上にユダヤ人の間で良しとされている割礼を加えただけだというかもしれない。しかし、パウロがその事実を見た時、無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕え、キリストの贖いの恵みから離れ、キリストによって与えられた自由を失うことであった。

 唯一の主なる神を知らなかった日本文化の中で育った日本人は仏教徒を自任する人々も神社に行けば神体と言われるものを拝み、神社の氏子を自任する人々も仏像を拝む。そして彼らは言う、神体も仏像も良いものだから・・・と。しかし、唯一の神によって選び出され、福音に与り、支配する諸霊から解放され、キリストに在って自由を与えられている私たちはそのようであってはならない。新年を前にしてしっかりと立ち位置を確認しょう。

2022/12/20(火)担当 ラウジー満世師 創世記24:28-49 賛美 聖歌(総)73 歌125

 井戸でリベカと出会ったアブラハムの僕は、リベカの兄ラバンによってその家に迎え入れられる。食事が整えられたとき、僕はまず自分の任務を遂行する。彼は主人アブラハムとの誓いのこと、自分に託されたイサクの嫁探しのこと、その任務を遂行するために祈りながら主の導きに従った結果、リベカに出会い、その家に迎え入れられていることを話した。この僕の告白を聞きながら人々は確かな神の導きがあることを知った。かつて突然アブラハムを呼び出し、行先を知らないままに連れて行かれた神が、長い年月アブラハムに対して真実であり、すべては神のご計画に従って導かれていることを人々に示した。もちろんこの旅の目的を完成させてくださるのもまた主の御業である。

 世の人々にとっては、井戸でのリベカとの出会いと、ことが僕の願う通りに進んだことは「偶然」、「幸運」という言葉で片づけられる。しかし偶然に見える出来事の背後にはすべてを導かれる神がおられる。日々の生活において隠れた神の導きをしっかりと見極められる者でありたい。

2022/12/21(水) 担当 高谷清師 ガラ4:16-20 聖歌(総)276  聖歌 295

 パウロは「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで」と語る。2章においては「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。(ガラ2:19-20)」と語っている。また、主イエスは「かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。(ヨハ 14:20)」と語っておられる。救われるとは、肉なる自我が十字架につけられ、死に、死に打ち勝って甦られたキリストの復活のいのちによって生かされることである。信仰によって肉に死に、キリストの復活のいのちに生かされる時、私たちの内にキリストが形づくられるのである。

2022/12/22(木)担当 ラウジー満世師 創世記24:49-61 賛美 聖歌(総)86 聖歌138

 僕の言葉に対してラバンは応答を求められた。ラバンもこのことが神のご意志であることをしっかりと受け止め、御心に喜んで従っている。両者が神の御心に従うことが確認されたのちに食事の宴が持たれた。次の課題はいつこのことを実行するかであった。ラバンは当時の習慣に従ってしばらく滞在するように求めたが、僕は一刻も早く主人アブラハムのもとへこの喜びの報告をするためにすぐに出発しようとする。判断を委ねられたリベカはすぐに出発すると即答した。彼女にとっては慣れ親しんだ土地を離れることに加えて、見知らぬ土地へ向けての旅立ちであり、さらには夫となる人も知らないままでの決断であったが、淡々と行っている。彼女もまた彼女に与えられた主の導きを確信している。

 神のご計画が進むとき、そこには人々が関わる。そしてその人々は自分の願いによって行動しているのではなく、神の御心を確信して信仰による応答によって進んでいる。御心が地になるようにと祈りつつ、私たちも神に従おう。

2022/12/23(金) 担当 高谷清師 詩 72:16-17 賛美 聖歌(総)551 聖歌 529

 この箇所において詩人は大地の豊穣と人々の繁栄を祈り、王の名の永続と、王を通して諸国の民への祝福の波及により、諸国の民が王を讃えるようにとの願いを言い表す。神はアブラハムに対して「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」(創 22:18)と語られた。イザヤは「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。(イザ 9:5)」と預言している。そしてパウロは「ところで、アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して「子孫たちとに」とは言われず、一人の人を指して「あなたの子孫とに」と言われています。この「子孫」とは、キリストのことです。(ガラ  3:16)」と語る。

 地上では今もウクライナをはじめ、多数の地域で欲望と憎悪による殺戮と悲惨が繰り広げられている。「御国を来らせ給え」との祈りがますます切実さをもって迫ってくる。

2022/12/24(土) 担当 高谷清師 ルカ 22:31-34 賛美 聖歌(総)650 聖歌 606

 最後の晩餐を終えて弟子たちに対する使命を語られた後、主はこれから弟子たちに対して襲いかかろうとしている試練について語り、「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った」と語り「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と命じられた。「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と語るぺトロに対して主は「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」と言われた。このイエスの言葉はイエスの裁きが行われていた大祭司の屋敷において現実となった。ぺトロが三度目に主を否んだ直後、突然鶏が鳴いた。ペトロは主の言葉を思い出して、外に出て、激しく泣いた、即ち、悔い改めに導かれたのである。  人間は弱さを身に負うた存在であり、試練や危機に直面すると信仰の動揺をきたす。しかし主は常に私たちと共に居てくださり、祈っていてくださるのである。弱き、肉なる者の為に主が祈っていてくださる―なんと素晴らしいことであろうか。感謝しょう。